「足元を見る」という言葉を聞いたことや使ってみたことはありますか。
なんとなく、良い意味では使用されていないような雰囲気がありますよね。
実際にはどんな意味があるのでしょうか。
この記事では「足元を見る」という言葉の意味や語源、類語など言葉の使い方から、実際に足元を見る人の心理までご紹介します。
足元を見る人は、実は損をしていることが多いのですが、それはなぜでしょうか。
心理から分かる「足元を見る人」との付き合い方や、もし自分が足元を見る人だった場合の対処方法もお伝えします。
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目次
足元を見るとはどういう意味か
「足元を見る」(あしもとをみる)は「足下を見る」「足許を見る」と書くこともあります。
いずれも意味は一緒です。
相手の弱みや弱点につけ込むことを指します。
もしくは自分自身を省みる場合や身近なものを見直す際にも使用する言葉です。
しかし基本的には、一方が誰かを見下す状況に使用される言葉です。
相手の弱点を見抜くことで料金や条件で相手よりも優位に立とうと様々な手を打つことに対して「足元を見る」と表現することが多いです。
そのため相手の優位<自分の優位という関係性で使用されるので、あまり良い意味のある言葉とは言えません。
足元を見る言葉の語源とは
江戸時代、旅人は宿場町や街道筋に宿泊しながら旅をしていました。
宿場には駕籠かき(かごかき)や馬方(うまかた)と呼ばれる職業の人々がいて、旅人のサポートを行っていました。
現代のように乗り物が発展していない時代、旅の手段は自分の足で歩くか駕籠かきや馬方に運んでもらうくらいしか移動手段がなかったのです。
そして彼らは旅人の疲れ具合を判断して、値段を変動させていたといいます。
歩き疲れた人に対して、「疲れているならこれだけ出せば楽に移動できるよ」と交渉するのです。
つまり疲れている客には高額の料金を吹っ掛ける、という行為が横行していたのです。
宿場も同じように、疲れた人に対しては休むための部屋の料金をつり上げたりしました。
宿場や駕籠かきだけではなく、山賊まがいの行為をしていたひとたちも旅人の足元を見てどれくらいの金銭を身につけている人なのか予想し、襲ったといいます。
江戸時代には銀行というものは発達していませんので、旅に出ている間に必要な金銀は全て懐に入れておかなくてはなりません。
しかし懐に入れている金銀の貨幣が多ければ多いほど思いので草履が摺り切れやすくなるというわけです。
このことから「人の弱みをみつけ、これ幸いとつけいる」という行為を「足元を見る」と呼ぶようになったのです。
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実際に人の足元を見る時のポイントは靴
「ホテルマンは客の格を靴から見抜く」「銀座のホステスは客の腕時計などの宝飾品ではなく靴を見て相手を格付けする」ともいいますが、実際にその人の経済状態や社会的ステイタスを推し量るのに足元、すなわち靴を見ることは多いのです。
たとえお金持ちでなかったとしても、靴の汚れを気にする人は何事につけても折り目正しい人、おしゃれには気を遣う人といった評価が反映されやすいのです。
また育ちの良い人やセンスの良い人は、日頃から靴の手入れを欠かしません。
帝国ホテルには靴磨き専門の人が常駐していますが、これも利用客のランクに合わせた最高級ホテルの「おもてなし」の一環だといえます。
日本国内では靴の手入れをきちんとするのは「おしゃれな人」程度の認識ですが、靴で過ごすことが多い欧米では靴の手入れを万全に行っておくことは、
自分が上流階級に所属していることの表れでもあるので、文字通り相手の足元を見ることが肝心になります。
もちろん中にはお金持ちでも、上流階級でも、靴の手入れに無頓着な人もいます。
とはいえ、靴の手入れをきちんとする人が折り目正しい人という評価は間違ってはいません。
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足元を見るに類語はあるの?
「足元を見る」という言葉には、「弱みに付け入る」という意味と同等の使い方をする似たような言葉がいくつかあります。
いったいどんな表現があるのか見ていきましょう。
足元に付け込む
他人の弱点を見つけ、相手が突かれると痛いと分かっていて自分の要求を貫き通す言動を指します。
他人の様子を観察して、その弱点を見透かすという行為が「足元を見る」という言葉と同じになります。
足元を見てつけあがる
相手の弱点や強気に出られない理由を理解した上で、相手を攻める言動を指します。
相手が反撃したり反論できないことを承知の上で、あれこれと要求を突きつけたり、要求の内容がエスカレートしていく様子を表現した言葉です。
弱みを握る
「足元を見る」という言葉の意味をそのままストレートに表現した言葉です。
弱みを握られると、相手の要求に逆らえず従うしかなくなります。
たとえそれが法外な要求であっても。
欲の皮が突っ張る
商売上で「あくどい」と他人から評されるほど、相手の弱みに付け込んでまで儲け第一主義に走った行動をとることを「欲の皮が突っ張る」と表現します。
本来の「足元を見る」という言葉の語源と同じように、相手をよくみて利益の確保に走る様子を指す言葉です。
良い意味に使われることはない言葉です。
洞察する
本来「足元を見る」という言葉は、相手をよく観察して弱点を探す行為を指します。
ですのでその人の行動や言葉から、どのような背景を持つのかいろいろと推察することを「洞察する」と呼ぶことは、足元を見るという行為の類義語といえます。
痛いところを突く
痛いと感じるところを突かれると、誰しも突いてきた相手に敵いません。
つまり言葉の比喩として、「弱点を指摘されると相手に勝てない」という意味で使用される言葉です。
「足元を見る」という言葉と同じで、その人にとって弱い部分を指摘したり攻撃することで、自分の要求を通そうというわけです。
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無意識でも不快感を与える足元を見る人の7つの心理
足元を見る人にどんな心理がはたらいているのでしょうか。
無意識に行ってしまう行為でも、人に不快感を与えてしまうのは次のような心理がはたらいているためだと考えられます。
人より優位に立ちたい
無意識に他人の足元を見る人は、「人より優位に立ちたい」と考えていることが多いです。
逆に、他人の弱点を握らなくても自分自身が負けてしまうというコンプレックスの裏返しでもあります。
正々堂々と戦っても勝てる自信がない、もしくは面倒くさいと考えているため無意識に他人の足元を見てしまうのです。
強い者に取り入り、弱い者を虐げる
無意識に足元を見る人は、他人を「自分より強いか、弱いか」で判断する傾向があります。
足元を見ることができる相手には強気に出て、傲慢な態度をとります。
一方で強者には一見すると敬意を払っているようにも見えます。
しかし実際には強者の力を借りて、自分勝手に振る舞おうとしているのです。
いわゆる「虎の威を借る狐」の状態です。
足元を見る人は、勝てない戦いには向かいません。
また相手によって態度を変えるために「嘘つき」と見なされることも多いです。
弱い物に対してストレスを発散している
足元を見てくるひとは観察力や洞察力はあります。
つまりどうしたって勝てない相手には最初から逆らいません。
しかし心の底からその強弱関係に納得しているのかというと、そうではありません。
ですので「自分より弱いもの」に対しては過剰に攻撃をしかけるという一面があります。
「強い者には勝てない自分」というネガティブな感情を、いじめなどに反映させることですっきりしているのです。
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今の自分に満足できていない
「もっとこうなりたい」という自分になれていない現実から目を逸らすために、他人の足元を見てトラウマや孤独感を発散させようとしています。
あるいは「こんな自分が正面から人と競っても勝てるわけがない」という偏見から、他人の足元を見てアラを探しそこにつけこもうとしているのです。
格付けしたい
足元を見る人の目的は、自分よりも劣る人間を探すことです。
自分よりも優れている人間よりも下のままでは納得がいかないので、自分よりも下の人間を見つけることで「自分は最下位ではない」というプライドを守ろうとしています。
ずる賢い
足元を見る人はずる賢い一面があります。
そのため勝てない相手には面と向かって逆らわないようにする計算高い部分があります。
しかし自信喪失したままではいられないので、自分より下の立場の者を見つけることで精神的な安心を手に入れようとします。
またどうすれば相手の弱みを握り、意のままに動かすことができるのか計算している一面もあります。
がめつい
足元を見る人は、ただでは動こうとしません。
人を助けるにしても、自分に何かメリットがあると感じなければ動くことはありません。
また他人の足元を見ることに対して悪気はありません。
「自分が苦労するのだから、何か対価があって当然である」と考えています。
そのため足元を見すぎて失敗したり何か停滞しっぺ返しを喰らうと、途端に自分は被害者であると感じたり振る舞うことがあります。
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足元を見るを使った例文
実際に「足元を見る」という言葉を使った例文をご紹介します。
「賞味期限が近い商品を大量に抱えていることを相手も知っていた。そのせいで足元を見られて安く買いたたかれた。」
「たしかにあの人は困っていたけれど、ちょっと考えれば君も困ることになるからお互い助け合うのが一番良い解決策だったんだよ。人の足元ばかり見ず先も見て。」
「来月が決算だから、できるだけ売り上げを伸ばしていたいとは考えていた。そのせいで商談相手に足元を見るような条件ばかり提示された。」
「彼には切り札がある。そのせいで足元を見るような態度を取る。」
足元を見る人にならない!反対の態度で人に接して
「足元を見る人」はその場では自分のプラスになるような成果を引き出しているように見えます。
しかし足元を見た相手や周囲の人には不快感を感じる人が多く、めぐりめぐって「あいつは嫌なやつだ」「関わり合いにならない方がいい」と避けられることが多くなります。
つまり俯瞰的に見ると、結局は自分が損をすることになるのです。
長期的なスパンでみれば、「足元を見ない人」の方が利益を生み出すことが多いです。
では足元を見ない人になるにはどうすればいいのか、そのポイントについて解説します。
実力を身につける
自分に自信がある人は、他人の足元を見なくても困難を回避できる自信があります。
また自分に自信があると周囲を見下さなくてもいいので、性格にゆとりが生まれ大らかに構えることができるようになります。
他人の言動に左右されないだけの実力を身につければ周囲を客観的に見ることができるので、自分の身を守るためだけに他人の足元をみなくてすみます。
周囲に感謝して生きる
「周囲は敵だ!」と考え、常に相手の弱みを握ろうと生きる事は肩肘が貼って苦しいものです。
それよりは「周りの人の手助けのおかげで生きていける」と考えた方が楽です。
周囲への感謝を忘れない人のまわりには、自然とその謙虚な人柄にひかれた人が集まり、良い人間関係の循環が生まれます。
人の足元を見てばかりだと、付き合いがあるのは人の足元を見る人間だらけになります。
そうなると常にお互いに弱みを見せられない、弱みを見せたら一気に不幸になるという悪循環が出来上がってしまいます。
前向きに検討する
1956年に世界的に大ヒットした映画の中で使われた楽曲「ケ・セラ・セラ」は「なんとななるさ」という意味ですが、最悪の場合を想定しておくのもある意味では重要ですが、常にそればかりでは疲れてしまいますし悲観的にもなります。
ですので時にはケ・セラ・セラな気持ちで、危機感を詰め込まないことも大切です。
「ピンチはチャンス」という言葉がありますが、何かトラブルが起きてもその中から自分自身への教訓を見つけ出すようにしましょう。
困難の中にあっても笑いを忘れない器の大きさがあれば、他人の弱みに付け込まないでも生きていけます。
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