コンビニや銀行によく「詐欺に注意」という張り紙が貼ってあります。

騙されないように疑ってみることが必要な場面もありますが、やはり「すべて疑う自分にちょっと嫌気がさす」という人もいるのではないでしょうか。

 

猜疑心が強すぎると、もしかして病気なのか心配になってきますよね。

 

この記事では猜疑心が強くなるその原因やなぜ疑い深くなるのかその心理について解説します。

いっしょに克服方法も解説しますので、「自分は疑いすぎかも」と感じている方はぜひ参考にして下さい。

 

セルフチェックの方法についてもご紹介しますので自分自身を振り返るのに役立てて下さい。

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目次

猜疑心の意味とは

 

「猜疑心」は「さいぎしん」と読みます。言葉を構成する「猜」は、なかなか出会わない字ではないでしょうか。

「猜む」と書いて「そねむ」と読みます。

 

今では、そねむ、ねたむ、うたがう、といった意味に使われますが、元は推量する、見当をつけるという意味の中国の文字です。

 

も一つの構成文字「疑」は、言うまでもなく疑いを表す文字ですから「猜疑」で「相手のことを真実を隠していると勘ぐり、裏に隠された真実を推量すること」とでもなるでしょうか。

 

そこに気持ちを表す「心」を付けて、「他者を妬み、疑う心」となります。

疑心暗鬼

「猜疑心」と通じる言葉に「疑心暗鬼:ぎしんあんき」という言葉があります。

 

疑心暗鬼とは、疑いの心を持って見ると、なんでもないことでも疑わしく感じてしまい、怖いと思ってしまうという意味の言葉です。

ビクビクして周囲を疑いの目でしか見てないと、暗闇の中に居もしない亡霊が見えてしまうという例えです。

 

敵愾心

「猜疑心」を募らせると不必要な「敵愾心:てきがいしん」に転換してゆくことがあります。

 

敵愾心とは、敵に対して怒りを燃やし、これを倒そうとする闘志のことで、強い疑いの心は、とこまで行っても見つけることが出来ない真実に苛立ち、本来、敵ではなかった相手に対しても強い警戒心を生み、信用してはならない相手として位置付けてしまうことに繋がってしまうものです。

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人を信じることが出来ない4つの心理

 

心に傷を負うほどの経験をすると、人は周りを信じることが出来なくなります。

その痛みは、人と接することへの不安や恐怖を呼び、心から拭い去ることを阻み続けます。

 

不信感

猜疑心に囚われると、どんなに相手を理解しようとしても不信感を拭いきれるものではありません。

 

相手の言っていることが真実であることを理解しても、それが現実と相違ないことが証明されても、信用できるのはその人の「言葉」だけであって、相手自身を信用するには至りません。

その先に、きっと自分を陥れる罠が用意されているような疑惑が残ったままになります。

 

分離感

周りの誰もが信用出来ないと思い込むと、分離感が際立ち、誰とも協力関係が築けなくなります。

 

他の人達と一緒に作業に取り掛かる場合であっても、その関係性には協力関係と呼べる信頼は存在せず、等価交換を基本とした取引関係で付き合うことになります。

 

目には目を

信頼関係が欠落した相手から受けた仕打ちに対しても、寛容な態度で受け入れることが出来なくなります。

 

こちらが受けた損害分は、そっくりそのまま返す。

「目には目を」の論理です。

 

他者との協会がハッキリしているが故に、例えそれが相手の好意から出た手助けであっても、自分に対する邪魔と捉えてしまうと、仕返しをしなければ気が済まなくなります。

 

罪悪感と自己嫌悪

自分が疑り深かったが為に共同作業者の足を引っ張ってしまったと自覚した時には、自分の行いに対して罪悪感を感じることになります。

 

ただし、そうは言っても罪悪感を感じているのは自分が引き起こした結果についてであって、周囲の人達への不信感が拭い去られた訳ではありません。

その罪悪感は、自分を補ってくれた仲間への感謝に繋がることなく、それをしでかしてしまった自分への自己嫌悪へと繋がって行きます。

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強い猜疑心を持ってしまう6つの原因

 

その人の持って生まれた性質として、なかなか周囲に溶け込めない人見知りや、探究心の素になる疑り深さ、他人に負けたくないと思う競争心等はあるものです。

 

しかし、それだけで猜疑心を持つようにはなりません。

強い猜疑心には、それを生んだ原因があるものです。

 

トラウマ

幼少期に受けたトラウマが、猜疑心を抱きやすい性格を形成してしまうことがあります。

期待していたことが叶わなかった経験は、他人に期待するという感覚さえ奪ってしまいます。

 

遊園地に連れて行ってくれる筈の日の急な仕事、教えて欲しい勉強が有った日の残業、仲良しだった友達の突然の転校、スポーツ番組の延長による楽しみにしていたテレビ番組の放送取り止め、苦労して仕上げた宿題を忘れた時の絶望感。

 

うかれた自分が間抜けだったと思い知らされる出来事の全てが、他人を期待する気持ちから遠ざける原因になり得ます。

 

 

裏切り

裏切りは、それまで相手に寄せていた信頼の上で考えていた計画の全てを打ち砕き、心を失意の底に沈めるものです。

 

信頼の上に築かれた計画が大きければ大きいほど、その計画の為に支払った代償が大きければ大きいほど、裏切られた時のダメージも大きくなります。

 

大きなダメージに打ちひしがれた心は、他人を信用することに臆病になります。

 

恋愛

恋愛では、お互いが信頼し合っている事が確認出来る度に幸福感が高まって行きます。

 

信じられている事を自覚して、その信用に応えようと頑張り、相手もまた自分の信用に応えてくれている事に喜びを感じます。

気持ちが高まるに連れ、相手への信頼が心に占める割合を大きくして行きます。

 

だからこそ、その恋愛が終わる時、寄せていた全ての信頼が裏切られ、心に空いた穴は、他のことで埋めることが困難なほど大きくなります。

その虚無感は、人を信じ、信じられていると思い込むことへの恐怖に変わって行きます。

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人間関係のトラブル

そこに裏切りが無くても、恋愛感情がなくても、人間関係のトラブルは猜疑心を持ってしまう原因となる可能性を秘めています。

 

それは、些細な意見の衝突から始まることもあります。

意見が対立によって別れた時、どちらの意見に就くかで人間まで対立しているように感じることがあります。

 

必要もないのに味方と敵に分けて見てしまった時、仲間だと思っていた人が対立側に回ると、何の根拠もなく期待していた自分を自覚することになり、信頼とは何であったのかさえ見失ってしまうことになります。

 

どんなに信頼していても自分と同じ人格ではないのだということに気付くことで、相手との距離感を掴めなくなり、何について信用して良いのか、何には期待してはいけないのかが分からなくなっている間に、人間関係をこじらせます。

 

何も信用できなくなったことで孤立し、猜疑心を募らせて行くことになります。

 

いじめ

孤立を深める原因を考えると、いじめも強い猜疑心を生む原因であることがよくわかります。

 

いじめは、共感する仲間を感じられるうちは乗り越えて行くことが出来るものです。

しかし、周囲の誰しもが目を逸らし、自分の話を聞いてくれなくなった時から孤立感を深め始めます。

 

誰も寄り添ってくれないという思いは、誰にも期待しないという覚悟を強要し、自分ひとりで戦う為に、周り全てを疑いの目で見るようになります。

 

育った環境

どんな経験をしても、何が原因であっても、そこから猜疑心を生み出す最終的な原因は孤立です。

 

周囲に、自分に共感してくれる、励ましてくれる、手を貸してくれる人が居続けるならば、猜疑心に囚われることにはならないでしょう。

育った環境に、一切のフォローがない時、人の心は猜疑心に支配されることになります。

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猜疑心が強い人は9つの特徴はコレ!

 

強い猜疑心は、人に期待するという発想を消し去ってしまいます。

 

何をするにしても、そこに居るのは自分だけ、何が起きても受け止めるのは自分だけという意識で過ごしています。

そのため、猜疑心の強い人にはいくつもの特徴が現れます。

 

人間不信

猜疑心の強い人は、相手の好意を期待しません。

相手のためにという発想の欠落は、他の人達も同じく、他人には無関係で生きているという解釈を引き出してしまいます。

 

もし、何かの誘いがあっても、それは相手にとっての都合に合わせた動員であると解釈します。

もし、何かを薦められても、それは相手になにかしらかの利益が還元されるからだと解釈します。

 

相手の好意を受け取らない猜疑心の強い人は、周りから見れば人間不信としか映りません。

 

自己中心的

他人の手を借りるという発想がないため、自分の行動が一緒にいる人に影響を与えるという認識がありません。

 

一緒に出かけていても、自分が立ち寄りたい店があれば断りもなしにグループを離れますし、食事をする時にも、食べたいものが違っていれば、一人だけ他の店に入ってゆきます。

 

猜疑心の強い人には、そもそも「みんなで」という発想が無いのです。

 

自信喪失

手助けを期待出来ないことで、自分がひとりで出来る範囲が限界ということになります。

 

少しだけ手を借りたり、助言をもらうだけで乗り越えられる筈の壁が、猜疑心の強い人には乗り越えられません。

大きなポスターを貼る時に片側を押さえておいて貰えば簡単に貼ることが出来ても、自分ひとりでは上手く貼ることが出来ないように。

 

その結果、お互いに手を貸し合っている人達が簡単にこなせたように見える作業が、自分にはどんなに頑張っても出来ないという現実に気付くことになります。

 

猜疑心の強い人は、他の人が思いもよらないような場面で、自信喪失を味わっていることがあります。

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コミュニケーションが希薄

猜疑心の強い人は、コミュニケーションが希薄になります。

 

集団に所属していれば、お互いに助け合える状況を維持する為に、他の人の動向に気を配り、気持ちを合わせる為に共感できる話題を選んで仲間意識を高めようとします。

 

ところが、猜疑心の強い人には助け合いの発想がありません。

コミュニケーションに目的が見いだせなければ、他者との接触は居心地が悪いものでしかないでしょう。

 

引きこもりがち

外出では、他者との接触を避けることが出来ません。

 

出かける時は一人でも、店に入れば店員との会話が駆け引きのように感じますし、旅先で声を掛けてくる輩も、どんな魂胆を持っているか分かったものではありません。

気になり始めると、すれ違った通行人の中にも、利用出来る人間を探している人が混じっているような気さえしてきます。

 

わざわざ気疲れをするくらいなら、自分の部屋から出ないほうが楽です。

 

ネガティブ思考

周囲の手助けを期待出来ない猜疑心の強い人にとっては、他の人にとって「楽しい挑戦」であっても、自分にとっては「出来ないこと」に思えます。

 

出来なくても別に誰にも迷惑をかけないことならば、止めておくに越したことはありません。

「やってみようと」に対する反応は「止めとくよ」になりがちです。

 

心配性

上手く行かなかったら助けてもらえば良いし、失敗したら慰めて貰えば気も晴れるのでしょう。

しかし、他人の好意に期待しない猜疑心の強い人にとっては、失敗は取り返しのつかないことです。

 

失敗しそうなことには出来るだけ手を付けないようにしますし、それでもやらなければならない時には、失敗が起こり得ないように慎重に慎重に事を進めます。

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友達が思い浮かばない

友達とは、お互いに持ちつ持たれつつ助け合う関係です。

だからこそ、相手のことでも自分のことのように悲しみ、怒り、喜びまで共有することが出来ます。

 

しかし、他人と共感できない人には、そのような体験をすることが出来ません。

友達というキーワードを聞いても、それに相応しい存在に思い当たることはないでしょう。

 

妄想的

自分に接触してくるに好意を感じないのであれば、それは全ての人は自分を利用しようとしている人に見えてしまいます。

 

必ず何かの魂胆を持っている筈です。

もしかしたら、自分を騙そうとしてるのではないか、いやきっと騙そうとしているんだ、きっとそうに違いない。

 

だとすれば、この接触に仕方は、自分を笑い者にするつもりなのか。

なら、連れ出された先に、こいつの仲間達が罠にはめる準備をして待っているのだろう。

 

いや、こいつは詐欺師に違いない。ここで頷いてしまったら取り返しのつかないことになるのではないか。

 

そうしたら内蔵を売ってでもと言い出すか。ということは、こいつは臓器売買の売人なのか。

 

人を信用できないと、自分の疑り深さを肯定するあまり、突拍子もない妄想に行き着いてしまうこともあります。

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あなたは慎重派か猜疑心の塊か?自己診断でチェック

 

ここまで読み進めて来て、猜疑心は自分の中にも巣食っているのではないかと感じられた方もあられるのではないでしょうか。

 

特に、慎重になっているが故の戸惑いなのか、猜疑心によってもたらされた疑心暗鬼なのかは、判然としない場面も少なくありません。

 

ここでは、同じシチュエーションでも変わる受け取り方が、慎重であるが故なのか、猜疑心によるものなのかをチェックしてみましょう。

それぞれの場面で、Aは慎重派の感じ方、Bは猜疑心による、孤立した捉え方です。

 

知り合いの二人連れがすれ違いざまに笑った

A.知り合いなので挨拶代わりの笑顔を向けたのだろう

B.自分のことを笑いものにして話していたのだろう

 

インフルエンザの感染者に届け物を頼まれた

A.感染らないようにマスクをつけ患者から距離を取ろう

B.みんな恐怖から逃げて自分に押し付ける気なのだろう

 

お客様に頼まれていたアクセサリーが出来上がった

A.楽しみにしているだろうからもう一度細部まで確認しよう

B.盗難に合わないようにロッカーに鍵をかけてしまっておく

 

発言に対して発想は良いが要点がまとまっていないと指摘された

A.批判された要点のまとめ方を教わりたいと思う

B.みんなの前で悪口を言わなくても良いのにと思う

 

出張を申し付けられ数日留守にすることになった

A.戸締まりはしっかりして郵便物の受け取りは隣人にお願いする

B.留守中に泥棒でも入ったら責任を取ってくれるのか

 

宿題を忘れていたので急いで答案を写した

A.見透かされるのではないかと心配になる

B.予め答案を配っていたのは何かの罠たったのではないか

 

言い間違いを突っ込まれて笑われてしまった

A.仲間内での話だったので良かったが気をつけなければ

B.憂さ晴らしのために小馬鹿にされた

 

試合が近いので練習に付き合って欲しいと頼まれた

A.自分で役に立つのか不安だけれど頑張ろう

B.なぜ自分が踏み台にならなければならないんだ

 

ほとんどの方は、どちらでもないかAの気持ちに近くなったのではないかと思いますが、Bに近いと感じた方は、猜疑心に囚われ始めている可能性があります。

 

今は良くても、心が弱っていると感じた時や、孤独を感じている時に試すと、異なった結果が出るかも知れません。

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強い猜疑心を克服すると人間関係が良好になる

 

上手くいっていないと感じる人間関係も、その多くは強い猜疑心さえ克服すれば改善するものです。

ここでは、猜疑心に囚われてしまった心を開放し、克服する方法を考察してみます。

 

 

自己肯定感を高める

猜疑心とは、周りの誰も信用していない、誰にも自分に対する好意を期待しないというものですが、実は、自分の価値を認識していないことから始まる感情です。

 

自分が相手から好意を持たれていると自覚が出来ている時、少し位の悪ふざけは大目に見てくれる事を想定して、その場を盛り上げることを優先することがあります。

 

ゲームで上手くクリア出来なくて息が荒くなっている時、「お前みたいな下手くそに出来るわけ無いじゃん。どれ、お兄さんに貸してごらん!」等と偉そうに言うと、

「そんなこと言って自分がやりたいだけなんでしょ?やりたかったら女王様とお呼び!」なんてやり取りが成立します。

 

これは、お互いが相手から好意を持たれている事に自信を持っているから成立するわるふざけで、

言われた側が相手を信頼していなければ『バカにされた』『見下された』という認識のもとで、その言葉を使った相手を切り捨てる根拠としてしまうところです。

 

自分が相手から好意を持たれているという自信は、それだけで自尊心を満足させます。

そして、その自信が故に、忌憚ない言葉のやり取りはお互いの距離を縮め、言葉の上での悪ふざけにも冷静に対処出来るというものです。

 

牽引の法則

面白いものの考え方を紹介しましょう。

 

それは、自分が意識した状況が、自分に呼び寄せられるというもので、「牽引の法則」と言うものです。

状況を作り出す全ての要素は既に世の中に存在しており、それを望むと望まないとに関わらず、それが形となって現れてしまいます。

 

例えば、「時間がない」と口癖のように言っている人の頭の中には、やらなければならない事が溢れかえっており、それがいつまでたっても収まることはありません。

 

「もっとお金が欲しい」と思っている人は、やりたいことに金額が到達した時点では既にその先に進むためのお金が必要だと感じています。

 

「こんな仕事はやりたくない」と感じながら仕事をしている人は、やりたい仕事を選ばない限り、ずっとやりたくない仕事を続けることになります。

 

ネガティブな感情と照らし合わせていれば、いつだってその状況にいる事になるのです。

ところが、同じ状況でも、感情をポジティブなものに切り替えると、その引き寄せた状況もまた、好転するものです。

 

「仕事を楽しめる」「楽しい時間が続く」「金額に換算できない幸福」、そんな切り替えよりも、もっと楽しい出来事へと意識を向けることができれば、そもそも不安に怯える状況に陥らなくて済みます。

 

友達に誘われた時に「騙されるのではないか」という考えにスコープを当てるのではなく「一緒にやれたら楽しそうだ」と思えれば、一つの恐怖はもう一つの期待に変わります。

 

友達のために何かしてあげられること自体を誇りに思えれば、見返りを待つ必要もありません。そもそも、一緒に居るのが楽しい相手であるならば、その相手を試す必要だってないのです。

この「牽引の法則」という言葉、「ものは考え方次第」という捉え方にも通じるものです。

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猜疑心の塊が強固な時は病気の可能性もある

 

周囲の全てを疑い猜疑心の塊となると、自分とそれ以外の間に境界線を設けるようになります。

そのせいで陥った孤立が作り出す不安や恐怖の影響から、自分は常に他人から批判を受けているという妄想を抱くようになります。

 

更に、その一般人とは異なった視点は、自分を特別な人間であると信じ込んだり、隣の人に攻撃を受けているといった思い込みも生み出します。

 

そういった異常な妄想に囚われていながら、それ以外の点では人格も能力も一般人と変わらないという症状を、偏執病(へんしゅうびょう)と言います。

 

偏執病は、パラノイアとも言われる障害のひとつで、妄想には、敵意が含まれているのが特徴的です。

その症状によって幾つかの診断名に分けられます。

 

そのひとつは、「妄想性パーソナリティ障害」です。

妄想性パーソナリティ障害は、猜疑性パーソナル障害とも呼ばれるほど、猜疑心とは深いつながりがあります。

 

その症状は、何の根拠も理由も無いのに他者からの攻撃を怖れたり、利用される、陥れられるという脅迫感から来る不信感によって、対人関係に支障をきたします。

 

ふたつ目は「妄想型統合失調症」です。

妄想型統合失調症という診断では、妄想や幻覚(幻嗅)が症状の中心となります。

統合失調症の他グループと異なり、連合障害や自閉などの基礎症状が目立たないのが特徴です。

 

残りのひとつは「妄想性障害における被害妄想タイプ」と言われるもので、同じ妄想障害ではありますが、上の統合失調型ではないもののグループです。

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妄想性障害

妄想性障害では、同じ妄想が数ヶ月以上にわたって持続的に現れますが、他の正疾患の症状は現れないのが通常です。

統合失調症と同じく、自分の症状に対する病識がないため、妄想を否定されても受け入れることが出来ません。

 

妄想性障害の主症状は妄想だけになりますが、その妄想の内容によって、更に5つのタイプに分けられます。

 

被愛型

自分は、ある人物から恋愛感情を持たれていると思い込むものです。

女性に多くみられる妄想で、通常、有名人や職場の上司など、自分より社会的地位が高い人が妄想の対象になります。

 

その人に接触しようと行動することもあって、妄想が行き過ぎるとストーカー行為につながります。

 

誇大型

自分の過大評価が対象の妄想で、卓越した能力や身分を持っていると思い込むものです。

その妄想の中の自分は、高い地位、資産家、世界的な権威、著名人と親しい間柄、或いは高貴な血筋の人物というものになっています。

 

そのレベルは、現実離れしていることも珍しくなく、世界一とか誰でも知っているといえるほど、スケールの大きな話になります。

 

嫉妬型

配偶者や恋人、愛人などが浮気をしていると信じ込んでしまうものです。

このタイプの妄想は男性に多く、突然出現する傾向があります。

 

一旦、疑い始めてしまうと妄想が止まることなく、嫉妬は深くなって行く一方です。

冷めた態度に相手の存在を疑い、少し連絡が取れないだけで浮気を確定的になり、少しの着衣の乱れは浮気の証拠になります。

 

通常は相手を引き留めておきたいが故の疑いなので、具体的な行動に出ることも少ないのですが、嫉妬心を抑え込めなくなると、自殺や他殺に至ることもあります。

 

被害型

誰かに騙されている、ひどい嫌がらせを受けている、いった妄想で、自分は危害を加えられる被害者なっています。

 

軽度な症状は健常者にも見られるものですが、妄想が進むと、毒をもられた、命を狙われたといったように、具体的な攻撃を受けたつもりになってしまうのが特徴です。

 

攻撃の妄想に囚われた時は、裁判所など行政機関への訴えや、実際には受けていない妄想上の攻撃にたいして、仕返しとして暴力に訴えることもあります。

 

 

身体型

自分には身体的な障害があると思い込む妄想です。

 

妄想の対象になるのは、主に「虫にたかられている」、「身体の一部が醜い」、「体臭や口臭が強い」の3つに分ければます。

妄想の中の虫は、皮膚の下を這い回り、寄生虫感染症を引き起こします。

 

醜い、臭いという思い込みは、自分を社会生活から遠ざけてしまいます。

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猜疑心が強い人の治療は困難をきわめる

 

猜疑心の強さが引き起こす社会への不適合を修正するには、専門医による治療が必要であることは言うまでもないことですが、心理療法的アプローチでも薬物療法的アプローチでも、その猜疑心そのものが治療の妨げとなり、治療は困難をきわめます。

 

心理療法

猜疑心はこころの中で沸き起こる感情なので、一見、心理療法が有効であり、効果も出やすい印象を受けますが、実は猜疑心そのものが治療の妨げとなるのです。

 

そのそも、心理療法における協力者であるカウンセラーやセラピストとの間には、ラポール(信頼関係)の構築が必須です。

ラポールを構築した上で、共感を感じさせながらあるべき方向へと誘うのがカウンセリングです。

 

患者同士で経験を共有する集団療法でも、発言者に共感することから治療が始まりますし、家族療法でも協力者である家族を信用できていなければ好転は始まりません。

 

ところが、猜疑心というのは相手を信用しないという心なのです。

患者は、カウンセラーにも、セラピストにも、集団にも家族にも、自分を治療することを許さないのです。

 

更に、偏執病の特徴である敵意を含んだ妄想も、本人は妄想だと認識していないので、治療を受け入れる気にもなりません。

 

薬物療法

猜疑心が強い人は、生物学的にも化学的にも障害を抱えているわけではありません。

 

そのため薬物療法のアプローチは、原因の治療ではなく、引き起こされている症状を抑えるというものだけになります。

とはいえ、特に目立った症状は妄想だけであり、適応する薬は抗精神病薬しかありません。

 

抗精神病薬では、脳内物質のドパミンとセロトニンをコントロールすることで妄想や幻覚、幻聴といったものを抑えることを試みますが、この2つの脳内物質が果たす役割が幻覚を作ることだけではないので、様々な副作用が出てきます。

 

根本解決にもならず、妄想を自覚してすらいない患者に幾つもの副作用を強いる治療は、継続もままなりません。

 

ところがこの病気、幸せな出来事ひとつで突然症状が好転することもあります。

患者の家族や友人などの協力者は、専門医の協力を得ながら根気よく症状のコントロールをして、そのタイミングが来るのを待つのが最善策なのかも知れません。

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