誰かに優しくするとき、一切の下心や見返りを望む心がないと言い切れる人はあまりいないのではないでしょうか。

 

「何の見返りもいらない、だけど自分の事を好きになってもらいたい」という考えも、純粋に無償の愛とは呼べません。

では無償の愛とはいったいどのようなものなのでしょうか。

 

そして無償の愛を与えるひとの心理はどうなっているのでしょうか。

無償の愛を与える人の心理を理解することで、あなた自身が無償の愛を与えられる存在になれる可能性が広がります。

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無償の愛とは?

 

見返りを求めない母の気持ち

母は、生まれてきた子供に対して見返りのない愛を捧げます。

 

生まれてきてくれてありがとう。

 

我が子の顔を見たときは、ただそれだけです。

 

ほとんどの母親は、子供に恩返しをして欲しいとは思っていません。

 

育ててやったからお金を稼げ。

 

冗談で言葉にすることはあったとしても、本当に心の底からそう考えたりはしないものです。

 

ただ、存在しているだけで愛しさが募る。

 

例え自分は苦労したとしても、この子のために何かしてあげたい。

 

それが母親の子供に対する無条件の愛です。

 

無条件に相手を愛する感情

無償の愛は恋愛にも存在します。

 

「この人のためなら何でもできる」という感情は、母親の子供に対する気持ちと共通しているでしょう。

 

愛すべき対象が違うだけで、利害や打算のない無償の愛と言えます。

 

例えば彼のためにお弁当を作る。

 

誕生日にプレゼントを贈る。

 

でも、その行動の裏でお返しを期待している場合は、無償の愛には当てはまりません。

 

相手を振り向かせる目的で行動するのではなく、相手のために自分の時間や労力を捧げることこそ無償の範囲でしょう。

 

お返しを期待することが悪いのではなく、自分の気持ちに従っただけと言えます。

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スピリチュアルと無償の愛は魂レベルで繋がっている

 

スピリチュアルと無償の愛は、途切れることのない魂で繋がっています。

 

それでは、どんな繋がりがあるのかご説明しましょう。

 

奇跡的に出会えるソウルメイトの存在

ソウルメイトは自分にとって結婚相手とは限りません。

 

でも、ソウルメイトだからこそ、結婚して幸せな人生を送っている人もいます。

 

ソウルメイトとは、「ソウル=魂」「メイト=伴侶」という単語を組み合わせたもので、魂から深いご縁で結ばれた相手ということになります。

 

そのためいつどこで出会えるかは誰にもわかりません。

 

会えないまま人生が終わってしまうこともあります。

 

お互い別々に人生を歩んでいるわけですから、きっかけがなければ出会えないわけです。

 

その確率は計算できないくらいの数字ですが、現実には恋人や家族として一緒に時間を重ねていたりします。

 

ソウルメイトを確かめる方法

こうなってくると、自分のソウルメイトが誰なのかを確かめたくなりますよね?

 

でも、残念ながらそれを証明する材料はありません。

 

占いで教えてもらったとしても、その人がソウルメイトかどうかは占い師にも立証できないのです。

 

でも、たった1つだけスピリチュアル的な要素で考えていくと、無償の愛を向けられる相手はソウルメイトの可能性が高いかもしれません。

 

ソウルメイトだからこそ、相手を自然に受け入れられるのでしょう。

 

見えないレベルで繋がっていた事実が、現在の生活に関係していたとしても不思議はありません。

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無償の愛を与える人の愛情表現はストレート

 

無償の愛を与える人の感情表現について解説しておきます。

 

素直な表現力の先にある感情

自分の気持ちに素直でなければ、無償の愛は生まれません。

 

なぜなら意地を張ってしまう人は、相手に弱みを見せたくないから自分の感情を表さないことが多いのです。

 

相手にどう思われても構わないから、自分の気持ちや感情をありのままに表現していることこそ、無償の愛に近いことになります。

 

格好の悪い自分。

 

情けない自分の姿を隠すという行動は、隠していることそのものがメリットなので、駆け引きが成立している状態と言えるでしょう。

 

スキンシップに現れる感情

好感を持っている人に対して、人の脳は勝手に親近感を抱いてしまうものです。

 

そのため気に入っている人に対しては、軽く腕を引っ張ったり、頭をポンポンとたたいたりもできます。

 

逆に気に入らない人は避けるし、できるだけ距離を置こうとするでしょう。

 

このスキンシップができる人こそ、無償の愛を表現していると言えるかもしれません。

 

その根底には、他人にどう受け止められても平気。

 

そんな感情が置かれているため、「嫌われても良い」「避けられても構わない」という感覚を持って接しています。

 

もちろんそれを自覚しながら行動に移しているわけではなくても、どんな状態でも受け止められる自分軸があるため、スキンシップにも積極的なのす。

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親が子供にあける愛情こそ無償の愛の典型

 

子供には幸せになって欲しい。

 

親はそう思って育てます。

 

日常的にはなかなか感じられないかもしれませんが、生活の中に存在している無償の愛をご紹介しましょう。

 

心配しているからこそ叱る

学校からの帰りが遅いと心配します。

 

どこか途中で事故に巻き込まれているのではないか。

 

学校で何かあったのではないか。

 

子供の身をいちばん大切に考えていれば、「帰宅途中に友達の家へ遊びに行って遅くなった」と聞いて、子供の行動を叱るでしょう。

 

子供からすれば些細な行動ですが、親にとっては目の前のことも手につかないほど動揺が走る出来事です。

 

親からすれば途中の道に安全が確保されていると知っていても、玄関のドアを開けて顔を見るまでは落ち着けません。

 

これは無償の愛を注いでいる子供の行動だからこそ、心配になって叱るケースです。

 

短所を受け止める優しさと包容力

誰にでも長所と短所があります。

 

でも、親は子供の短所でさえも、優しさと包容力で受け止めるでしょう。

 

子供の行動に苛立ちを感じることもあるかもしれません。

 

好奇心から想定外の行動に驚かされたりもします。

 

それでもその子を支えようと力を使い、短所も許せてしまいます。

 

子供の年齢が低ければ低いほど表面化していて、人によって子供との距離は異なります。

 

例えばうまく鉛筆を使えなかった場合、学校で困らないよう使い方を教えたりしますが、うまくできないからと言って嫌いになったりするわけではありません。

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無償の愛=見返りを求めないことが最大の特徴

 

見返りを求めない事例をお話します。

 

ギブアンドギブの一方的な苦労

仕事をすればその対価としてお金をもらえます。

 

でも、無償の愛に見返りは存在しません。

 

お金や権力や名誉を求めたりしないため、ギブアンドテイクにはならないのです。

 

そのため与える側の一方的な想いだけとなり、周囲から見れば苦労を背負っているようにしか映らないこともあるでしょう。

 

「これだけやったのだから何かしてもらえば?」と助言する人もいますが、無償の愛を与える側からすれば、苦労をしていることすら気づかなかったりします。

 

例えば彼のために人脈を繋げてあげたとして、自分には何のメリットもありません。

 

それでも彼が成功してくれるならそれだけで良い。喜んでもらえれば…。

 

この関係こそが、無償の愛を贈り贈られている状態です。

 

損得勘定をしない

この場面で理由を聞くと良い印象が残らないかもしれない。

 

ここで断ると次から連絡をしてもらえないのではないか。

 

これが心の中で損得勘定をしている状況です。

 

何かを手に入れるために別のことを我慢する。

 

良く受け止めてもらうために本音を誤魔化す。

 

肝心な自分の気持ちを曖昧な位置へ棚上げしておいて、現実の成果を手に入れたために計算して行動するのです。

 

相手の心を試して様子を探り、今後の方向性を決めたりもするときに使ったりするでしょう。

 

この損得勘定を働かせているうちは、無償の愛へ育つことはありません。

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無償の愛は自己犠牲を厭わない

 

無償の愛を与える側は、自己犠牲になっていると思っていないでしょう。

 

例え心の隙間に自己犠牲が芽生えたとしても、自分の気持ちを打ち消して行動します。

 

それはどんな気持ちからなのか。

 

自己犠牲のケースを示しておきましょう。

子育てやボランティアと同じ

自己犠牲の気持ちは、見返りを求めない子育てやボランティアと同じです。

 

行動の先に利益がなくても、自分のやるべきことをこなします。

 

子育てをすることは当たり前のように思われているし、それは親の責任で世間の常識です。

 

ボランティアをすることで相手を助けますが、だからと言ってそこで何かを要求したりはしません。

 

○○をしてあげたい。○○をしてあげよう。

 

そんなふうにしてあげたことへの満足感と自己犠牲の気持ちが相殺され、無償の愛として存在しているのかもしれません。

 

陰で我慢している

自己犠牲は、陰で我慢している状態にしか成立しません。

 

自分の存在を後回しにして相手の気持ちに配慮するわけですから、我慢するしかないわけです。

 

それは悲劇のヒロインを演じているように受け取られることもありますが、我慢しなければ現実を進めることができない場合は、自己犠牲になったとしてもそれを選ぶしかありません。

 

では、我慢を選ばない人はダメなのかと言うとそうでもなく、我慢しない代わりのペナルティ(他人からの悪評・忍耐力の弱さによる自己嫌悪)を受けています。

 

人によってその度合いは違いますが、無償の愛を与えられるレベルの自己犠牲は、身代わりになっても良いくらいの気持ちがあります。

 

彼が苦しんでいるから自分が代わってあげたい。そう感じられる女性の多くは、無償の愛を持っていると考えても良いかもしれません。

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言い訳しない人は無償の愛を与えられる人

 

思っていることをすぐ言葉にする人は、自分の責任を他人のせいにする傾向があります。

 

言い訳をしない人がなぜ無償の愛を与えられるのか。

 

その理由を解説しましょう。

言い訳は過ちやミスを反省していないことになる

遅刻したら相手に謝ります。

 

なぜ遅刻をしてしまったのか。

 

その理由を真っ先に並べ立てる人は、自分の責任を別のところに投げていることになります。

 

例えば車が渋滞した。

 

これは渋滞することを想定して、約束の時間よりも早く家を出たら良いことです。

 

もちろん早く出ても渋滞にハマることはあるでしょう。

 

そのため1度や2度は仕方ないにしても、毎回遅刻してしまうなら本人の意識が欠けているわけです。

 

自分の引き起こしたミスに言い訳から始まるのは、「自分は早く出たつもりだから悪くない」という意識があり、無償の愛を届けるどころか、自分を擁護して相手や世間に甘えていることになります。

 

 

必要以上に理由をアピールするのは責任を負っていないから

○○が欲しい。

 

だって○○ちゃんも持ってるから。

 

これは子供がよく使うセリフです。

 

でも、これと同じように自分の求めていることを動かすため、必要以上に理由をアピールする状態は、「自分は求めてないよ。だけど、○○しないと○○にならないから」と言い訳しているようにも受け取れます。

 

もちろん仕事上で必要なこともあるためケースバイケースですが、プライベートで猛アピールするのは、責任を他の理由に置き換えている確率が高いと考えて良いかもしれません。

 

そうなると幼い子供と同列。

 

無償の愛を与えられる人は、言い訳をすることなく、自分の行動に対する責任を持っているものです。

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相手の事を一番に考えている人の愛情は深い

 

相手を優先することのできる愛情は、無償の愛に移っていく途中と言えます。

 

どんな状況が相手を優先していると言えるのかご説明しておきます。

 

どんなに多忙でも最優先で駆けつける

自分の仕事が忙しくても、恋人や家族がトラブルに見舞われたらすぐに駆けつける。

 

この状態が、相手を真っ先に考えていることになります。

 

例えそのあとで自分が残業することになろうとも、困っている相手を放置することなく対応します。

 

他者の幸せや成功を願い行動することができるようになれば、無償の愛へ変わる瞬間もそう遠くはありません。

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