映画や小説ではよく「自己犠牲」の姿が描かれます。

一見するととても美しいお話ですが、実際に自分や知っている人が自己犠牲に走るのは気が引けるという人も多いのではないでしょうか。

そもそもなぜ自己犠牲に走る人がいるのでしょうか。

 

この記事では自己犠牲の裏に隠された心理や意図をくわしく解説します。

他人のために何ができるのか、また幸せとは何か深く考えるきっかけになりますよ。

またケース事のあなたの自己犠牲度合いもチェックできますので、参考にご覧下さい。

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目次

自己犠牲の心理学と性格

 

「自分のことよりも他人のことをまず考えて行動しなさい」と、親や周囲の大人から何度も聞かされて育ってきた人も多いのではないでしょうか。

自分のことを顧みずに他人のことを第一に考えることを尊ぶ文化は、日本だけではありません。

 

また、自己犠牲には良い面だけではなく、悪い面もあるでしょう。

自己犠牲をしやすい人にはどんな性格や心のありようがあるのでしょうか。

順番に見てみましょう。

 

人を犠牲にするよりも、自分が犠牲になったほうがマシ

「人が辛い思いをしているのを見ていられない」という人がいます。

 

そのように言う理由も人により様々かと思いますが、人を犠牲にするよりも自分が犠牲になったほうがマシだと思う人の中には、自分自身の無力感を感じたくない為という人もいます。

 

なぜなら、自分が犠牲になった時には自分の努力によって、何がしか変えられることも出て来るでしょう。

変えられない現実があったとしても、自分がそれを打破するためにひたすら取り組んだというのであれば、気持ちの上での納得の仕方も変わってきます。

 

その一方で見守るしかない状況は、自分の力でできることは程ほど限られています。

いわばコントロール不能な状態と言っても良いでしょう。

 

「自分が犠牲になった方がマシ」という考え方は、苦痛や痛みを他人の代わりに自分が引き受けようという崇高な考えであると言えます。

けれども、他人の苦痛から目を背けずに寄り添い続けるということも、同じくらい意味があることと言えるのではないでしょうか。

 

そういう点では「自分が犠牲になった方がマシ」という人は、辛くとも寄り添い続けるという覚悟が弱いということなのかもしれません。

 

残念な話しかもしれませんが、自らの意思で自分を追い詰めるような状況に置くことも、1つの弱さなのです。

 

人の痛みがわかる優しい人

自己犠牲を払いやすい人は一般的に、人の痛みがわかる優しい人であると言えます

 

他の人の致し方ない状況や苦痛も敏感に察知するので、「自分が我慢すれば良い」「自分にやってあげられることがあるのならば」と、自分が引き受けてしまいます。

そうやって穏便に済ませようとすることで、他人に負担をかけまいとしているのです

 

そのような人は他人の心の声に敏感な一方で、自分が本当は何を感じているのかということや、自分自身の持つ苦痛には気が付けないことが多々あります。

常に他人の心のありようばかりに心のモニターが作動してしまっているからです。

 

また人の痛みがわかって人を支えることと、自分を犠牲にすることは本来別のものです。

人の痛みがわかって適切に人を支えられる人は、自分と他人の境界をきっちりと分けています。

「自分はここまではできるけど、これ以上はできない」と、はっきり相手に示す人もいるかもしれません。

 

自分を犠牲にする人は、自分に無理がかかった状況であっても相手のしんどさを慮り、相手を優先させようとします。

相手の苦痛を取り除いてあげたいという切なる気持ちによって、行動が突き動かされるのです。

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ただNOと言えない性格

自分を犠牲にする人の中には、自分がNOと言うことで相手を傷つけるのではないかという気持ちを持っている人がいます。

頼まれてもNOとは言えない性格になってしまっているのです。

 

他人にきっぱりとNOを突きつけるのには、エネルギーがかかります

相手から恨まれるような、リスクを生むこともあります。

 

「NOを言って人間関係にヒビが入る可能性があるのなら、自分が多少我慢して済ませる方がマシ」

NOと言えない性格の人は、このような思考回路から頼まれごと等を断り切れず「Yes」と言ってしまうのです。

 

他人を頼りにしていなく、任せられないという心理

自己犠牲を払いやすい人の中には、他人に仕事等を任せられないと思っている人もいます。

他人に任せるよりは、自分で仕事を進めていった方が上手く事が運ぶと考えているのです。

 

一般的にこのような人は、自分に対しても他人に対しても理想が高いことが多いでしょう。

また能力的にも、高い達成度を示すパターンが多いと考えられます。

 

さらに、このような人は理想が高い分だけ、日常生活の中で気持ちが折れた体験が多くなりがちです。

何故なら日常生活の中では、100%自分の理想通りに物事が運ぶということは、ほとんどあり得ないからです。

 

他人にお願いして自分の期待通りにならなかった、という経験等が積み重なって、「他人に任せるくらいなら、多少大変でも自分で全部やった方がマシ」と考え、大変なことでも全部自分で引き受けようとします。

 

そのように、日常の生活の中で「負担が高いことであってもこなしていく」ということが常態化しているので我慢強く、自分が大きな犠牲を払うことに対しても、心のハードルが低くなるのです。

 

すべての言動の大前提に「相手」がいる

つい独り言を言ってしまった経験は、誰でも持っているでしょう。

ご自身の経験を振り返ってみればわかると思いますが、独り言は特に誰かからのリアクションを求めてされたものではなく、つい思わず出てしまった言葉と言えます。

 

けれども人によっては、他人から自分がどのように映っているかということがとても気になり、どんな言動をする際においても必ず「他人にどう思われるか」「他人にどう映るか」ということを気にしてしまう人がいます。

 

そのような人にとっては自分が他人から好ましい評価を得ることが最重要項目となるので、多少自分にとって厳しい事であっても、相手の申し入れを受け入れてしまいがちになります

 

自己犠牲は愛ではない

 

「自分のことよりも他人のことを考えよ」という自己犠牲の精神は、日本人にとっては美徳と考えられることが多いでしょう。

けれども、果たしてそれは本当に美徳なのでしょうか?

 

もう少し自己犠牲について詳しく考えていってみましょう。

 

自己犠牲というのは、「誰かの幸せのために自分が不幸になっている」

自己犠牲というのは「犠牲」という言葉からわかるように、大切な何かを台無しにすることとでなされています。

いわば誰かの幸せのために自分の幸せを手放すこと、もっとストレートに言えば、「誰かの幸せのために自分が不幸になっている」ということです。

 

「自分のことよりもまず他人のことを考えよ」と言われて育ってきた人の中には、自分のことを優先させることにためらいを感じる人もいます。

なぜならそのような人は、自分を優先させることに否定的な感情を感じるように、思考が刷り込まれているからです。

 

けれども、周りを見回せば自分よりも良くない状況にある人は、見つけようと思えばいくらでも見つけることができるでしょう。

自分よりも困っている他人を優先してばかりでは、いつまでたっても自分に順番は回ってきません。

これでは、幸せになってはならないと言われているようなものです。

 

また、私たちの社会では自己犠牲を求める一方で、しっかりと自分のなすべき事だけは達成することを求められます

これは幼稚園等に通う小さい子供達の場合も、一緒です。

 

1つのクレヨンを皆で共有して絵を描くことになった時に、他の友達に「先に使っていいよ」と譲ることは、素晴らしいことであると言われることは多いでしょう。

けれどもそのようにクレヨンを譲っていたが故に、全く自分の絵が描き終わらなかったらどうでしょうか?

指定された時間内に課題を終える事ができなかったとして、否定的な評価をする先生も中にはいるのではないでしょうか。

 

自己犠牲というのは、一見良い事のように思えます。

けれどもその実、良い事ばかりではありません。

自分を犠牲にすることを求められているあなたにも、正当に幸せになる権利があるのです

 

 

自己犠牲あっての真の利他愛

「利他」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

「利他」は元々仏教の言葉です。

仏教の祖、ゴータマ=シッダールタは、生きていることからくる苦しみは、自分に対する執着や囚われから生じるとしました。

 

ゴータマ=シッダールタが出家を決意した出来事に、四門出遊という出来事があります。

とある国の王子として産まれたシッダールタは、産まれた際に仙人から「将来は国主となって国を大きく繁栄させるか、出家してブッダとなる」という予言をされます。

シッダールタを出家させたくない父親の計らいで、シッダールタは何不自由無い生活を送ります。

 

けれども、ある日シッダールタが東西南北の門の側を通った際に、貧困で困っている人、患った病に困っている人、人が亡くなった葬式に出くわします。

そして最後の1つの門の側で出家者と会い、出家を決意するのです。

 

シッダールタはブッダとなった後、世の中にあるものは全て移り変わり、形があるものは全て崩れることを説きます。

「お金が無い」「年を取って若さが無くなった」などの悩みは、自己所有や自己像への執着から起こります。

 

それらの執着を手放す方法として編み出されたのが、「利他」です。

執着の元になるものを自分から他人に譲ることで、囚われの気持ちを手放すのです。

 

利他として自分の囚われの元を手放すことと、自分を犠牲にしてまで他者に尽くすことは決して同じことではありません。

「あの人のせいで自分が犠牲になっている」と思ったら、それはそれでまた気持ちの上での囚われが生じます。

 

どんな人にでも、気持ちの度量を示す器があります。

本当の利他愛は、自分が犠牲になっているとは感じない程度で相手に尽くすことを言うのです。

自己犠牲をしてまでの利他愛は、真実の利他愛とは言えないでしょう。

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「愛」と「自己犠牲」と「甘やかし」の違い

「愛」と「自己犠牲」と「甘やかし」は、似た部分を持っていて混同しやすい面も大きいのでは無いでしょうか。

 

愛は、自然と自分の心の内側から染み出てくる慈しみの心のことを言います。

自己犠牲も他の人のために行うもので、「その人のためになりたい」「その人の力になりたい」という気持ちから、なされるものです。

 

両方とも他者を思う気持ちから発生したものであることに変わりはありませんし、スタートの時点では同じだったかもしれません。

けれどもその2つを分ける違いは、「自分の心に無理が無いかどうか」という、その点に尽きるのではないでしょうか。

 

例えば、親のためにと一心に、介護を引き受けた人がいるとします。

最初は不満も無く懸命にやっていても、人にはいつか疲れる時がきます。

 

介護の場面ではよくありがちですが、介護をする側の人は自分自身に対するケアが疎かになりがちです。

そういったことも加わって、次第にしんどさが生じてくるようになったら、それは自分を犠牲にしていると言っても良いかもしれません。

 

けれども愛から出たものであれば、不満など生じないくらい満たされた気持ちから沸き起こるものなので、どんなに時間がたっても疲弊することは少ないでしょう。

 

ところで、愛と甘やかしの違いは何なのでしょうか。

両者の違いは、その行為が自分本位でなされたか否かということかもしれません。

 

例を出すと、小さい子供に好きなお菓子を何でも買い与えることは、甘やかしになると判断する人が多いのではないでしょうか。

その理由は、小さい子に好きなお菓子を何でも買い与えることは、子供のしつけや教育上適切ではないからです。

 

好きなお菓子を買ってあげれば小さい子は静かにしていてくれることも増えるだろうし、関わる側としては楽です。

しかしながら自分が楽をできて子供にいい顔ができるというのは、自分本位な行動と言えるでしょう。

 

愛から出た行為は、子供の行く末のことまで考えてなされます。

自分の行動がどういう気持ちから行われたものなのかを振り返るのは、とても大切なことなのかもしれません。

 

 

無償の愛とは何か

無償の愛とは、ごく簡単に言えば、見返りを一切期待しない愛情のことです。

 

「愛は見返りを期待してはならない。見返りを期待したら、それは本当の愛ではない」などと言われ、愛には一方的な自己犠牲を伴うものだと思っている人も、多いかもしれません。

 

また、人によっては自分にも同じように愛を返してほしくて、そのように感じる自分の気持ちに罪悪感や後ろめたさを持っている人もいるでしょう。

 

けれども、自分が一方的に愛を与えているだけであったり一方的に影響を与え続けるということは、現実的には起こりえません

何故なら、人間は互いに影響し合う生き物だからです。

 

もしあなたが一方的に相手に愛を与えているように感じていたら、よくよく自分の気持ちについても観察してみてください。

あなたが相手に良い物を与えている分だけ、自分の心の中にも何か良いものが跳ね返ってきていることは無いでしょうか?

 

また、自分がせっかく愛を与えているのに相手からはさほど返ってこなかったとしたら、自分の心の中に怒りを感じたり苦しくなるのは、人間としてごく自然な感情です。

それによって愛が冷めるということがあっても当然でしょう。

 

無償の愛は自分から積極的に見返りは求めませんが、それでも何らか自分に良いものが返ってきているから成り立っています。

自分の心の中に跳ね返ってくるものが少ないからと言って、罪悪感を持つ必要は本来ないのです。

 

もっとも大切なことは自分を愛すること

今、SNSで他人から「良いね!」を貰えないと自分の心の安定を保てない人が大勢います。

自分のことを自分で大切だと思えなかったり、自分に価値があると思えないからです。

 

そのような自分を大切に思えない人は、相手から軽く扱われたとしても、相手のために自分を犠牲にしてしまいがちです。

自分には価値が無いから、相手に対してそれくらいやって当然だと思ってしまうのです。

 

ですが、本当はそのように自己犠牲する必要はありません。

一番大切なことは自分で自分を愛し、肯定できるようになること。

自分自身の「いいね!」だけで、「自分もそんなに捨てたものではないな」と思える程度に、自信を持っていきていくことです。

 

あなたは自分で気が付いていないだけで、良い部分をたくさん持っているのです。

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自己犠牲傾向を深層心理テスト等から診断してみよう!

 

あなた自身は、どれくらい自分を犠牲にしやすい傾向があるのでしょうか?

深層心理テストなどから、気になるあなたの自己犠牲傾向について見てみましょう。

 

どれだけ自分を犠牲に出来るか!?

あなた自身がどれくらい自己犠牲できるかどうかは、深層心理テストでチェックしなくても、質問2つだけでわかることがあります。

 

質問1「あなたが今まで情熱をかけてきたものには、どのようなものがありますか?どのくらい続きましたか?」

 

質問2「やってみたけど上手くいかなくて止めちゃったものには、どんなものがありますか?どのような理由でやめてしまったのでしょうか?」

 

自分がエネルギーと時間を投入して取り組んだ経験は、心の耐性と関連があります。

自己犠牲には、我慢がつきものです。

 

情熱をかけてきたものの数が少なく(1~3個)、長い期間に渡ったものであれば、あなた自身一度始めたことは簡単にはやめない人と言えそうです。

 

あなたは我慢強い人なのかもしれません。

自分にとって本当に大事なことであれば、自己犠牲も厭わない可能性が高いでしょう。

 

その一方で、情熱をかけたものが全くなかったり、一杯あるけどどれも期間が短い場合、あなたは興味のアンテナは広いのですが、深い自己投入をする前に違うものに情熱が映ってしまっているかもしれません。

自己犠牲を払う可能性は、少ないと言えます。

 

また、やってみて上手く行かなくてやめてしまった経験も、あなた自身の心の耐性を示すエピソードを提示するでしょう。

2つの質問から総合的に判断してみてください。

 

深層心理テストによる性格診断

以下の質問の中で、自分の直観で一番ぴったりとくるものを選んでください。

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Q.今あなたは劇場にいて、これから劇が開演します。舞台の上にある小道具の中に、演出上とても大事なものがあるそうです。それは何でしょうか?

 

A:舞台上にずっと置かれているテーブルとイス

B:舞台袖に置かれたティンパニー

C:演出中にワイヤーで吊下ろされる船

D:壁に映されるプロジェクションマッピング

 

この心理テストは、あなたがどれだけ縁の下の力持ちの役割で自己犠牲できるかをチェックするものです。

 

Aを選んだあなたは・・・

常に舞台上にあるテーブルとイスを選んだあなたは、裏方として徹したり、自己犠牲をする傾向は0%である可能性があります

自己犠牲するよりは、自分が他人に尽くしてもらうことに喜びを感じるタイプです。

 

Bを選んだあなたは・・・

あなたにとって家族や身内、とても親しい人のためであれば、自己犠牲をする可能性があるかもしれません。

自己犠牲傾向は40%くらいです。

 

Cを選んだあなたは・・・

家族身内、とても親しい人でなくても、自分が「この人のためなら」と思えた人がいた場合には、自分を犠牲にして相手に力添えしてあげることもあるかもしれません。

自己犠牲傾向は70%です。

 

Dを選んだあなたは・・・

あなたはとても他人のために尽くそうという気持ちが、とても高い人であると言えます。

全く知らない人のために、自らを犠牲にしても役にたとうとするかもしれません。

自己犠牲傾向は90%です。

 

 

自分の本性はいい人かを診断

以下の質問を読んで、自分に合うものを選んでください。

 

Q.あなたが心の底から信頼している人が、あなたの悪口を言っていると別の人から聞きました。あなたはそれを聞いてどんな行動にでますか?

 

A:本人に直接確認に行く

B:そのことを教えてくれた人にもっと話を聞く

C:教えてくれた人以外にもそれとなく探りを入れて、確かめる

D:「そんなはずはない」と何もしない

 

このテストはあなたの純粋さや疑い深さから、あなたがどれだけ良い人かをチェックするものです。

 

Aを選んだ人は・・・

あなたは純粋で、自分にも相手にも正直でありたい人です。

 

真っ向面からぶつかっていけるのは他人を信じる力が高いからで、他人も自分と同じくらい自分のことを信じてくれていると思っています。

良い人度90%です。

 

Bを選んだ人は・・・

教えてくれた人の話を聞いて、その話を心の中に含みながらも具体的に確認行動に移さないあなたは、「人間、時にはそういうこともある」と純粋過ぎず、一方で疑い過ぎないところがある人なのでしょう。

 

ごく普通の人と言え、良い人度60%です。

 

Cを選んだ人は・・・

他の人からも色々と聞いて事実を確かめていくあなたは、かなり疑い深い人なのでしょう。

 

人には騙されないように神経を張っていて、周りもそんなあなたのことをわかっているから、周りもあなたに無理なお願いはしないことも多いかもしれません。

良い人度50%です。

 

Dを選んだあなたは・・・

「そんなはずはない」と言えるだけ、あなたは自分の判断に自信があるのでしょう。

そう言えるのは、そこに至るまで疑い深くその人のことを観察してきた結果があるからかもしれません。

 

その人に限らず、あなたは日々の生活の中で色々なことを疑い、判断してきたはずです。

良い人度40%です。

被る仮面から分かるいい人

以下の質問を読んで、直観的に自分に合うものを選んでください。

 

Q.あなたの家の一部の写真が雑誌に掲載されることになりました。その為今から急に、写真を撮る事になりました。あなたは家のどこの写真を撮りますか?

 

A:キッチン

B:ベッドルーム

C:バスルーム

D:クローゼット

 

この心理テストは他人にどんな自分を見せるかで、あなたの良い人度をはかるテストです。

 

Aを選んだあなたは・・・

急な撮影で、片付けもままならないだろうキッチンを選んだあなたは良い人度70%です。

周囲の人からお願いされたら大抵のことはにこやかに応じるので、対人関係もほぼ円満なのではないでしょうか。

 

Bを選んだあなたは・・・

明け透けなくプライベートな場所を公にできるあなたは、良い人過ぎるところがあるのかもしれません。

良い人度90%です。

 

頼まれたら「NO」と言えず、苦労をしているところもあるのではないでしょうか。

 

Cを選んだあなたは・・・

家と言われて真っ先に思いつくであろうキッチンやベッドルームを選ばなかったあなたは、ありきたりを嫌がるところがあるのかもしれません。

良い人度50%です。

 

周りの人からも一風変わっていると思われているかもしれません。

 

Dを選んだあなたは・・・

家全体の様子が見えてこないクローゼットを選んだあなたは、ひねくれ者のところがあるかもしれません。

良い人度30%です。

 

あなたに頼みごとをしても断られそうだからと、あまり人から頼まれることも少ないのではないでしょうか。

その分、人間関係で感じるストレスは小さいものとなるでしょう。

 

自己犠牲にも限界あるよ…

以下を読んで、あなたが「これだ!」と思うものを選んでください。

 

Q.あなたは大変な仕事を終え、疲れた体を引きずって帰宅しました。けれども夕食の準備がされてなく、奥さんはあなたが帰って来たことにも気づかないまま何か探し物をしているよう。あなたは何と声をかけますか?

 

A:「ただいま~」

B:「どうしたの?一緒に探そうか?」

C:黙っている

D:「おい、夕食はどうしたんだよ!」

 

この心理テストはあなたの自己犠牲する気持ちの強さから、良い人度を調べるテストです。

 

Aを選んだあなたは・・・

自分の事情は隠したまま相手にも平然と振舞い、ごく人並みの自己犠牲の精神があると言えるでしょう。

良い人度は60%です。

 

Bを選んだあなたは・・・

自分も疲れているのにさらに相手のことを気遣うあなたは、自己犠牲の気持ちがとても高いと言えます。

 

自分に余裕が無くても、他人のために力になりたいと考える人です。

良い人度80%です。

 

Cを選んだあなたは・・・

自分の帰宅も知らせないけど、相手を気遣う声もかけないあなたは自己犠牲の気持ちは、強くないかもしれません。

 

自己犠牲の精神は、自分に利害があるときのみに限定して発揮されそうです。

良い人度40%です。

 

Dを選んだあなたは・・・

相手の状況よりも自分を優先して声を荒げてしまうあなたは、自己犠牲の精神はほとんど持ち合わせていないかもしれません。良い人度30%です。

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『自己犠牲傾向の診断』にまつわるQ&A

 

自己犠牲傾向について心理テスト等でチェックしているうちに、もっと知りたい事がでてくる人もいるのではないでしょうか。

いくつかの疑問について見てみましょう。

 

心理テストで自己犠牲の精神が高いと診断された人は、うつになりやすいの?

心理テストでわかることは、その人のごく一部分だけです。

そのため心理テストで自己犠牲の精神が高いと判定が出たとしても、それが本当にそうなのかはわかりません。

 

ですが、自己犠牲の精神が高い人もうつ病になりやすい人も、無理してでも頑張ってしまいやすい人という点が共通しています

自己犠牲の精神が高い人は頑張り過ぎず、力を抜いて生活することも大切です。

 

自己犠牲傾向の診断って無料でできるの?

インターネットで「自己犠牲」「診断」などのキーワードを検索すると、いくつかの心理テストが出てきます。

 

本当に当たっているかどうかはさておき、友達との会話を盛り上げてくれることは間違いなしです。

時間がある時に覗かれてみてはいかがでしょうか。

 

自己犠牲傾向をみる心理テストの診断が、全く当たってないんだけど・・・

「心理テストで自己犠牲の気持ちが全然無いって出た。メッチャへこむわぁ・・」という人もいるかもしれません。

 

心理テストでわかるのは、人間のごく一部分の側面に限定されています。

また、本当に自己犠牲の程度を測定するというよりは、「友人との話題のネタ」を提供することを目的としているものも、いっぱいあります。

 

もしも外れてがっかり・・・ということがあれば、それは友人との話のネタとして「とてもおいしい」ということ。

ぜひそれを話のネタにして、友人と盛り上がって下さい。

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