「中庸」という言葉をご存じですか。
あまり馴染みのない言葉かも知れませんが、この概念を獲得すると仕事や人間関係を円滑に保つことができるので、人生の質を高めることができます。
教科書通りにはいかない、なかなか「これが正解」とはいえない社会を生きていくためにはとても役に立つスキルです。
まずはどんな意味かを理解し、その上でどのように自分の言動に取り入れれば良いのか考える必要があります。
この記事では中庸のマスター方法について解説しますので、ぜひ参考にして下さい。
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目次
中庸の由来とは
儒教四書の1つ
中庸は、「論語」の中で孔子に褒められた言葉だと言われています。
漢文の授業で習った覚えもあるかもしれませんが、論語にはさまざまな教えが記されていて、別名「倫語」とも呼ばれています。
中庸は元々儒学者の書いた「礼記」の1つで、今は四書の1つとして取り扱われているものです。
中心的概念の1つともされており、四書の中ではいちばん最後に読むべき書物として伝えられています。
その反対に「大学」は真っ先に読む入門書と言われているので、中庸の思想がいかに高いレベルのものであるか想像に難くありません。
ただ、敷居の高い教えではないので、身構える必要はないでしょう。
中庸の意味をしっかり解説
では、中庸の意味とはどんなものなのでしょう。
具体的な意味をまとめています。
偏りがなく穏当であること
普段私たちは、どちらかを選ばざるを得ない状況に迫られたりします。
どちらを選んでも角が立つ。
でも、どちらかを選ばなければ収拾がつかない。
そうなってしまうと、選ばなかったほうにしわ寄せが出てくることもあるでしょう。
そんな場合に中庸の意味を用いて解説するとしたら、「どちらも選ばない」という答えになります。
中庸とはどちらか一方に偏ることではなく、バランスのとれた状態を指します。
つまりどちらも選ばないことが中庸の思想を示すことであり、変わらない状態を保っていることに繋がります。
過不足の調和
○○が欠けている。○○が強すぎる。
これはバランスが崩れている状態です。
過不足のない調和とは、安定した状態で持続可能な気持ちとも言えるかもしれません。
精神的に追い込まれていない。中立中性に立っている。
現代的な解釈としてはこんな感じでしょう。
一般的には使われることはありませんが、中庸には社会の仕組みや生き方に通じるものがあります。
ただ、これらを実践するのは難しく、身近で実行できている人は少ないかもしれません。
学校の先生や政治家・公務員などは、まさに中庸の精神が必要な職業と言えるでしょう。
他にも政治家にこの精神があれば、もっと豊かな国になっていたかもしれません。
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アリストテレスと中庸の関係
中庸は、アリストテレスと関係が深いと言われています。
アリストテレスとはどんな関係にあるのでしょう。
倫理学と理性の関係
アリストテレスは古代ギリシアの哲学者です。
このアリストテレスの哲学の中に、「理性で生きるためには中庸が必要」とあります。
自分の感覚や感情を満たすためだけの快楽、心を傷つけられる苦痛においては、節制することが大切であると言われています。
また、財貨には豪華と寛厚が求められ、怒りに対しては温和、交際に対しては親愛・機知・真実が必要になるとも説かれているでしょう。
これらのことは中庸の思想と同じで、すべて根本的な1つの考え方に基づかれています。
アリストテレスはソクラテスやプラトンに匹敵する哲学者で、「不幸は本当の友人でない者を明らかにする」という名言を残しています。
プラトンを師として学び、アレクサンドロス大王の家庭教師となり、さまざまな学問を教えたことでも知られているでしょう。
そんなアリストテレスの倫理学であるからこそ、中庸と重なる部分があるのです。
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仏教用語の中道と中庸は似て非なるもの
中道と中庸の違いを解説します。
中道とは対立が離れていること
中道の「中」は2つの道の真ん中を指すのではなく、2つの道が離れて矛盾対立しているような状態です。
中道の「道」とは、実践のことを指します。
つまり中道とは、2つは両極端に離れた考えや思想を持っているけど、どちらにも偏ることなく中性な視点を持っていることになります。
例えばAさんは保守派。Bさんは改革派。
2人はまったく正反対の思想を掲げているけど、「世界平和」という共通の目的を共有していているような状況です。
少し表現は違いますが、対立している立場を離れて中性を貫くことが中道で、中庸とは少し違います。
中庸は中道よるも抽象的
中庸は中道よりも抽象的な考えになります。
見ようによっては曖昧な状態。
中途半端なイメージになってしまいますが、多くの日本人が好む「玉虫色の現状」というところでしょうか。
中道はそもそも対立している場面から始まりますが、中庸は対立している状態そのものもぼんやりさせているかもしれません。
明らかに喧嘩している。
そんな状態であっても、中庸の場合は喧嘩そのものが有耶無耶になっているような感覚に似ています。
でも、最初から何もなかったことにするわけではなく、事案として起こっていることは、公平性を持って平等に扱うようなイメージに近いです。
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中庸の徳の修得には高度なスキルが必要
では、どうすれば中庸のスキルが手に入るのでしょう。
少し頑張れば、誰にでもできる方法を紹介しています。
苦しみや楽しみの気持ちに影響を受けない
こんな楽しいことは他にはない。
もうこんな苦しいことはしたくない。
私たちは感情や感性の変化によって、さまざまな行動に出ます。
でも、この楽しみは目先のことだけ。
この苦しみには将来の報酬があるかもしれないのです。
目の前にある生産性だけで判断してしまうと、どちらかに偏った結論を導いてしまうかもしれません。
○○。この○○に該当する部分が抜け落ちてしまいます。
そのため冷静に現実を見つめ、何が正しいことなのか、客観的に分析するスキルが必要です。
感情や感性で受け取った印象は、その人の生活や人生に強く波及していきます。
例えば恋愛を選ぶか仕事を選ぶか、そんな岐路立たされたとしましょう。
結婚したい願望もありません。
ただ、「彼が喜んでくれるなら」とその場の感情だけで恋愛を選んでしまって、後々振られてしまったという話もあります。
中庸のスキルがあるとどちらかを選ぶのではなく、もう少し様子を見て判断することができます。
このような判断ができるようになるには、少し引いたところから全体を眺めることが必要になるでしょう。
生活リズムを適度に保つ
シフトを組んで仕事をしている場合は難しいかもしれませんが、生活リズムはある程度同じであることが重要です。
今日は7時に家を出る。
でも明日は18時から出勤。
さらにあさっては、また朝から仕事。
このように生活リズムがバラバラの場合、感性や感情も乱れがちになってしまいます。
そうなると自分の利害や打算で判断したり、他人に流されて間違った選択をしてしまう恐れもあるので気をつけてください。
また、日頃から他人の生活リズムに合わせなければならない人は、そこで引っ張られないようにしましょう。
母親は赤ちゃんのリズムに合わせてお世話をします。
時間は関係ありません。
お腹が空けば泣くし、それはどうしようもないことです。
ただ、赤ちゃんばかりに合わせてノイローゼになったらNGなので、ときどきは息抜きをしましょう。
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健全な心身に中庸な精神が備わるとはどういうことか
中庸の精神を健康に利用しましょう。
動揺しないことは精神衛生上で安定をもたらす
他人にあおられてしまう。
誘惑されると自分の判断とは別の方向に行ってしまう。
これらは気持ちの動揺が作り上げている依存のようなもので、自分軸が定まっていません。
そのためどうしても他人からの言葉に反応し、気持ちを落ち着かせるために従ってしまいます。
中庸の精神を利用すれば、これら心の課題も克服することができます。
いろいろな角度から飛んでくる言葉にも耐性が生まれ、何を言われても動じない安定した気持ちで過ごせるようになるでしょう。
不意を突かれて誰かにつけ入れられる隙ができることもなければ、物事を多方面から見ることができるので、主観的な判断で問題に振り回されたりもしなくなります。
しっかりと気持ちを組み立てることが、現実と向き合える強い自分を養います。
精神的な不変状態が健康を作る
気持ちが安定していることは、身体的にも優れた耐性を持つことに繋がります。
人間は気持ちが病んでいくと、体まで不調を訴えるようになります。
的な傷がないにも関わらず、心の問題から頭痛や腹痛・神経症状等が現れてくるでしょう。
中庸の精神で行動していると平和な気持ちで過ごすことができるため、心の疾患へ発展することはありません。
そのため一般的な病気にのみ配慮することになります。
健康は身体的なことだけではないので、まずは心の軸を作ることが先かもしれません。
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中庸主義な人はトラブル解決もスムーズ
中庸な人がトラブルを上手くトラブルを解決できる理由を説明します。
中間的な立場が対立の防止になる
どちらかに偏ったりしないので、中間的な立場で間に入ることができます。
どちらにもつかない八方美人として誤解されることもありますが、中立であるからこそ双方の問題点が見えてきます。
そのためどこを改善すれば良いのか。何が必要なのか。
本人たちの気づいていないところで、対立を防止させることもできるでしょう。
例えば夫婦喧嘩をしたとします。
妻の言い分と夫の言い分。どちらもその立ち位置から見た意見は、間違いではありません。
妻は「なぜ、私は仕事もしているのに家事をやらなければならいのか」と思っていて、夫は「俺のほうが稼いでいるし、働く時間も長い」と思っている場合、どちらが悪いとは言えません。
家事をお互いに避けたいだけなので、役割分担を決める・外食する・お惣菜を使う・ときどき息抜きとして家事をさぼる。
双方の言い分を聞いて、さまざまな提案をすることも可能です。
当事者同士がヒートアップする場合、中庸の人がいてくれることで解決する問題がたくさんあるのです。
平和主義なので寛容な仲裁ができる
対立を避ける。
それが中庸の人の基本なので、仲裁に入ることで上手く処理することもできます。
学校の先生は子供同士の喧嘩を仲裁します。
どちらか一方だけの話を聞いて、喧嘩の原因を特定したりはしません。
Aくんが頭を叩いた。Bくんが蹴った。
どちらも同じように身体的な力を使っています。
では、どちらが先にやったのか。
なぜ、そういう行為に及んだのか。
悪口を言われたのかもしれないし、間違って道具を壊したのかもしれません。
あるいは貸していた道具を返してもらえなかったり、話しかけても無視されたケースも考えられます。
1つの行動が発端となって起こった喧嘩ですが、あらゆる可能性を排除できないわけです。
そのため個別に話を聞いて原因が特定された場合でも、2人にとって丸く収まるような結論を提案することができるのです。
「Aくんも悪かったけど、Bくんもそれは禁止だよ」という具合に、片方に喧嘩を誘発するきっかけがあったとしても、双方を納得させることができるような仲裁案を話すこともできるでしょう。
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