世界には多種多様な文化や宗教観があり、それぞれの民族ごとに思想や外見が異なります。
その中の1つ、アーリア人は世界史の中では必ず目にする民族で、その歴史を知ることは世界史について知ることにもつながります。
また戦時中のナチス・ドイツが掲げた「理想」とも縁の深いことで知られています。
そんな有名な民族ではあるものの、同時にアーリア人は謎も多い民族です。
そんな歴史と謎に包まれたアーリア人についてくわしく解説します。
地球上にどのようにして文明が栄えたか理解することができますよ。
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目次
アーリア人の起源はガンジスを目指して移動する民族
まずアーリア人とは一体どこから始まった民族なのかを解説します。
アーリア人の定義
一口に「アーリア人」といっても、2通りの考え方が現在あります。
中央アジア付近(トゥーラーン)を出自とする民族を指す考え方と、南はインド大陸、東は中国の西部、西は中央ヨーロッパまでの中央アジアに広がるステップ地帯を中心に広範囲にわたる民族を指す考え方です。
現在残っている近縁であると考えられている民族には北部インドを中心とする諸民族、パシュトゥーン人、ペルシア人、タジク人が挙げられます。
アーリアン学説では広い意味での民族分布をアーリア人であると規定しています。
インド=ヨーロッパ語族に属する民族は全てアーリア人を祖先とする学説です。
アーリア人の起源とは
前15世紀よりあとになってから、イラン・アーリア人が各地に広がっていったと考えられています。
それ以前は、インドを中心に生活しており、やがて中央アジアやイラン、中央ヨーロッパへと生活圏が拡大していったとみられています。
さらに以前にはどこに住んでいたのかというと、様々な学説がありますが、最近ではコーカサス山脈の北側が現住地とする説が有力視されています。
アーリア人は家畜を伴い移動を繰り返す遊牧民族であったと考えられ、草原から草原へと移動する生活をしていました。
前15世紀を境にコーカサス山脈を離れ、イラン・アフガニスタンを経由してガンジス川流域まで移動していきました。
なぜ移動を開始したかについても様々な説がありますが、一説によると寒冷化によってそれまで暮らしていた土地での生活が厳しくなったためともいわれています。
当初は遊牧民族として独自の文化を持っていましたが、征服した先々の土地で先住民の文化とも融合していき、パンジャーブ地方を征服した際には農耕技術を身につけます。
そのため農業に適した肥沃な土地を求めるようになり、紀元前10世紀頃には肥沃なガンジス川流域へと移動し、農耕文化を築いていったと思われます。
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バラモン教はアーリア人が創造した宗教
アーリア人は民族として世界各地に広がり各文明に影響を与えただけではなく、文化にも影響を残しています。
その影響の1つが宗教です。
現在にも残る宗教の礎を築いたアーリア人ですが、具体的にはどのような思想を残したのか解説します。
バラモン教はアーリア人の自然崇拝から生まれた宗教
アーリア人独自の伝承として、「ヴェーダの神々への信仰」が挙げられます。
自然現象に神が宿るとする多神教です。
この信仰を中核に生まれたのがバラモン教です。
バラモンとは祭祀を執り行う神官、司祭を指す言葉で「バラモン教」という名称そのものは便宜上イギリス人が後世においてつけたものです。
バラモンを頂点に、人々が雨や雷などの自然現象を崇拝した文化そのものをバラモン教と呼びます。
やがてバラモン教にアーリア人より以前にインドに住んでいた人々の宗教観や民俗が融合し、ヒンズー教(ヒンドゥー教)が生まれました。
またバラモン教の影響をうけた宗教として仏教やジャイナ教が挙げられます。
その他にインドではシク教も広く信仰されていますが、こちらは16世紀以降に生まれた宗教でヒンドゥー教への反発や批判から生まれた改宗宗教とでも呼ぶべきものです。
バラモン教と似た宗教にゾロアスター教がある
バラモン教の教義にも登場する古代インドの神話の神々、デーヴァ、アスラなどが登場するのがソロアスター教です。
ゾロアスター教はイランで生まれたとされる宗教で、この世界を光の神・アフラ=マズダと闇の神・アーリマンの、善悪がぶつかる聖戦の場とみなしました。
そして世界が終わる終末の瞬間に救世主が現れ、この世界を救うと考えたのです。
ゾロアスター教そのものは現在では信仰する人々がほとんどいません。
しかしこの善悪の二元論や終末に現れるという救世主の物語は、ユダヤ教やキリスト教に大きな影響を与えたといわれています。
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アーリア人の最大の特徴は至上主義
アーリア人の「アーリア」とはアーリア人の自称であり、その言葉の意味はサンスクリット語で「高貴な人」という意味になります。
アーリア人は征服民族として先住民を「ダーサ」と呼び、自分たちよりも下の存在であると規定しました。
やがて「ダーサ」とは奴隷を指す意味の言葉となります。
そのためアーリア人は「人類の中でも優秀な人種である」とする古風な至上主義を掲げているところが特徴ともいえます。
定住し農耕文化を築くようになると、独自の宗教体系からヴァルナ制が生まれ、やがて厳格な身分制度であるカースト制度へと発展しました。
もちろん身分制度の頂点に立つのはじぶんたち支配者階級です。
このような歴史的事実はもちろん、18世紀にイギリスの言語学者・ウィリアム・ジョーンズがヨーロッパの各言語の母体となったのは1つの言語であり、その言語を使用した祖先をもつ民族を全てまとめて「インド=ヨーロッパ語族」と称しました。
これはあくまで言語学的な分類に過ぎませんでした。
またアーリア人の文化の中から名だたる宗教家が開祖として生まれたことから、いつしかアーリア人は「文化の創造者」「文明の起源」と見なされるようにもなりました。
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日本人が憧れるアーリア人女性の美しさ
アーリア人の顔の特徴としては「目鼻立ちがハッキリしていること」が挙げられます。
容姿についても手足が長く小顔、さらに身長が高く、まさしくモデル体系です。
アーリア人は征服民族ですが、征服先で先住民との混血化がすすみ、アジア系とヨーロッパ系の良さが混ざり合い美しさはもちろん愛らしさも兼ね備えていることも少なくありません。
二重でハッキリとした目鼻立ち、白い肌、青い瞳、金髪とパーツひとつひとつをとっても素で整っているため、バランスがきちんととれると整形でも作り出すのが難しいほどの美しい顔立ちになります。
日本人が憧れる顔や体型といってもいいでしょう。
とはいえ、現在は様々な民族の血が混ざっているので、典型的な古代アーリア人の特徴のある「白い肌、青い瞳、金髪、長身」を兼ね備えている人は少なくなってきています。
アーリア人イケメンが貴公子風の理由
アーリア人の民族的特徴として「高身長・色白・鼻高」が挙げられます。
自らを「高貴な人」「上位民族」と自称するだけあり、顔の彫りが深く長身でバランスがとれた容姿が典型的なアーリア人の特徴です。
アニメや映画で描かれる「金髪碧眼の王子さま」を体現しているのがアーリア人イケメンといえます。
とはいえ「青い目」「白い肌」はメラニン色素の薄さからきており、これらはアーリア人以外の人々と交わることで薄くなってきている特徴でもあります。
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アーリア人とインド人の特徴の違いはコレ
アーリア人とインド人には見た目の特徴が異なりますので、外見である程度判断できます。
どんな違いがあるのかご紹介します。
アーリア人とインド人、特徴はこれだけ違う
アーリア人の肌の特徴は「色白」です。
本来ヨーロッパの白人種であったと考えられるため、インド北部に住むアーリア人の末裔は色白で、日焼けをしてもインド人よりは白く見えます。
一方でインド人は黄色人種になりますので、日焼けしてもしなくても肌は浅黒い色に見えます。
また骨格も異なり、アーリア人とインド人ではインド人の方ががっしりしており手足も長いです。
身長はアーリア人の方がインド人よりも高く、インド人の背は低くアジア系寄りです。
瞳はアーリア人は青もしくは緑など色素の薄い色をしていますが、インド人は黒や褐色など濃い色をしています。
同じインド人でも特徴が異なるのはなぜか
アーリア人とインド人の違いを説明しましたが、同じインド人でも色白で白色人種に近い見た目の人もいれば、浅黒くアジア系に近い見た目の人もいます。
これは個性による差ではなく地域性、さらに言うなれば祖先が先住民に近いか、それとも征服者であるアーリア人系に近いかという違いによって生まれます。
インドは大きく分けると北のnorthIndianと南のsouthIndianに分けられます。
白色人種に近い見た目の人々が住んでいるのは北側で、この地域は紀元前15世紀頃にアーリア人が北から侵入しそのまま支配者階級として拠点とした地域です。
一方で南側にはもともとインドに住んでいた先住民族を祖先とする人々が多く、見た目が異なって見えるのです。
両者の血が混ざり合い中間の特徴をもつ人々もいますが、北と南ではいまだに外見に違いが見られます。
これは侵入者でありながら支配者層としてアーリア人が作りだしたカースト制度(ヴァルナ制)に由来します。
カースト制度は長く、違う階級の人同士の結婚や交流を禁じてきたために、アーリア人のインド侵入からかなりの時間が経っているのにも拘わらず、未だにそれぞれの民族的特徴の違いが残されています。
現在ではカースト制度に基づく差別は禁止されていますが、本当の意味で平等になるのにはまだ時間がかかるでしょう。
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世界の黒歴史上でのアーリア人とユダヤ人とドイツの関係
世界史上で様々な功績を残しているアーリア人ですが、中には「黒歴史」としかいいようのない暗部も残しています。
アーロア人とユダヤ人、そしてドイツの関係についてくわしくご紹介します。
アーリア人とドイツのイデオロギーの関係
文化人類学上、アーリア人は史上最も広範囲にわたって広がった民族とされています。
ただしこの学説には、西洋史中心の観点が混ざっていることに注意が必要です。
古代史を見ていくと、アーリア人はインドに侵入するとカースト制に基づく支配者層として君臨します。
イランに進出したアーリア人はペルシャ帝国を、トルコにはヒッタイト帝国を、ヨーロッパに流入したときにはゲルマン民族と呼ばれ、フランク王国や神聖ローマ帝国を築き上げます。
第二次世界大戦前からドイツを指導してたヒトラーは、人類を三種類に分類しドイツ人を含むゲルマン民族こそ優生学的に優れた民族であるとする「ナチズム」を唱え民衆の支持を得ました。
ゲルマン民族は純血のアーリア人であり、混血化していないために3種類の人種の最上位に存在するという至上主義を掲げたのです。
過去の歴史的栄光を引き合いに出し、非アーリア人の土地や財産はもともと自分たちのものであったとし、人種差別による他民族の迫害を正当化しました。
なぜ純血のアーリア人が優れていると主張したのかというと、アーリア人は「優れた文化を創造した民族である」という西洋史中心の歴史観があったからです。
ですから「アーリア人=ゲルマン民族なので、優れた民族は劣った民族を導くべき、場合によっては優れた民族以外は滅ぼしても良い」と主張したのです。
ドイツ人とユダヤ人の歴史上の関係
ナチズムはホロコーストなど、執拗にユダヤ民族を迫害していたことでも知られています。
ヒトラーの唱えるナチズムと人種イデオロギー下では、他民族とドイツ民族という異なる人種が混じり合うことはアーリア人の純血性を損なう危機的な問題であると考えられたからです。
他民族の中でも特にユダヤ民族がやり玉に挙がったのは、ユダヤ民族が自分の国家を持たないにも拘わらず、金融業や商業で活躍し社会的地位を築いていたからだといわれています。
第一次世界大戦での敗戦国であるドイツは危機的な不景気に覆われており、敵の存在を生み出すことで国家を1つにまとめ、国内政治に対する不満を逸らす目的もあったといわれています。
ユダヤ民族はユダヤ人固有の苗字をもつことでも知られており、ナチス政権下ではユダヤ風の苗字をもっている人は漏れなく迫害の対象となってしまいました。
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アーリア人は宇宙人?!噂を検証
アーリア人について解説してきましたが、実は「アーリア人は宇宙人である」という都市伝説も存在しています。
そもそもアーリア人は世界史や文化人類学上でよくその存在が取り上げられるのですが、どこまでをアーリア人ととらえるのか、その本当の起源はどこなのかと点についてはまだ謎の多い民族です。
実は「アーリア」というサンスクリット語は「高貴なる」という意味の他に「侵略者」という意味があり、古代においては優れた文明をもっていたペルシャ人がアーリア人と呼ばれていたこともあります。
つまり固有の民族を指すのではなく、歴史上目立った功績を挙げた民族に対しての称号として使用される側面もあったということです。
そのためナチスはドイツ人こそ他の民族よりも優れた民族であるということを示すために自分たちの祖先といわれる存在を「アーリア人」と称したのではないかともいわれています。
また陰謀論の中には「アーリア人は宇宙からの侵略者だった」というような説もありますが、日本人は「宇宙人=エイリアン」 と訳しています。
エイリアン、すなわち「alien」はそもそも「異邦人」という意味をもち、「エイリアン」という言葉が訛り「エーリア人→アーリア人」となった、とする説があります。
しかしこの説は日本人の意訳に間違いがあったためと考えていいでしょう。
つまり、アーリア人=宇宙人説には今イチ信憑性が足りないと言えます。
また歴史の裏に隠れた秘密結社で、様々な事件を裏から糸でひいている伝説的存在として語られることが多い「イルミナティ」こそアーリア人がつくった組織であるという説もありますが、こちらの説の真贋もちょっと疑わしいです。
かつてはアーリア人は「どこから来たか分からないが、古代インド文明を崩壊させた圧倒的な力をもつmysteriousな存在」とされていたため、その正体が不明なことから「きっと宇宙人などの優れた文明を持つ異質な存在なんだろう」と見なされやすかったといえます。
しかし最近では研究が進み、アーリア人が滅ぼしたとされる文明は別の要因で滅んだことや、DNA研究によってどの民族がどのようなルートで世界各地に広がっていったかある程度明らかになってきたのでそこまで神秘的な民族ではないということが分かってきつつあります。
とはいえまだ謎は残っていますので、今後の科学の発展や新たな史料の発見が待たれます。
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