刹那という言葉には、どんな意味が込められているのだろうか?

刹那という言葉を日常的な会話の中で使うときってあまりないですよね。

 

今回は、普段の会話の中で使用することは少ない言葉ではありますが、きっちりとした日本語として詳しくご紹介していきます。

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刹那とはどういう意味か

 

刹那という言葉は仏教用語に使われており、時間の最小の単位を表す言葉で「刹那」と言います。

きわめて一瞬の時間という意味が含まれます。

 

例えばですが指弾きといって親指と中指で弾いて出る音の長さの65分の1の長さを1刹那と言い、また、指で弾く音の長さの間に65刹那があるとも言われています。

 

更にはこれについて65回生まれ変わっていると表現される方もいるようです。

因みに1刹那は0,0013秒と言われています。

刹那の意味は、時間の最小単位を表す仏教用語とも言えます。

 

類語を知れば刹那の意味が良く分かる

 

刹那の意味を分かりやすく理解しようとするならば、刹那という言葉の類語を知ることでもっと簡単により理解しやすくなります。

刹那の類語をご紹介していきます。

 

1.一瞬

2.瞬間

3.瞬時

という類語があります。

 

これらの類語の意味を考えると、共通の意味として、わずかの時間や瞬く間という共通の意味があることが分かります。

そして、もっと短い時間を表現するとするならば「今」という意味も含まれてもおかしくはありません。

 

類語で分かった意味

類語で出てきた意味は、わずかな時間や瞬く間というものでした。

これは、類語という観点からすれば刹那の意味もこれと同じく本当にあっという間の時間と感覚的に感じることが出来るのではないでしょうか?

 

なんだか、段々と刹那の雰囲気がつかめてきたような気がします。

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慣用句の刹那主義の使い方とは

 

慣用句という言葉の意味は、二つ以上の言葉が集まって、その集まった言葉の意味が一つの意味にまとめられたという意味を含んでいますが、そんな集まりを「主義」という言葉を使って刹那主義とまとめた言葉があります。

 

その刹那主義について見ていきましょう。

 

刹那主義とは?

刹那主義の意味は、過去や未来という価値観がなく、現在だけが楽しければいいという考えです。

後先考えずに一時的な快楽を求めて生きる生き方を刹那主義的な生き方と言いますね。

 

今だけを楽観的に過ごせればいいというちょっと投げやりな考え方とも言えます。

 

もう一つの刹那主義

刹那主義の意味には、もう一つの見方もあります。

刹那主義の特徴として、今だけに全力を尽くして今だけを一生懸命生きるというような見方も実際にはあります。

 

今だけという言葉の使い方が違うわけです。

今だけ楽しければいい、今だけは全力を尽くして生きよう、という反対の意味を持つ言葉です。

 

こちらは、前向きな刹那主義と言えます。

 

それでも後ろ向きな刹那的な考えが多い

今、二つ目のプラス思考をご紹介しましたが、それでもやはり、書物などを呼んでいると分かるのですが悪い意味での刹那的な生き方などと捉えられていることが多いということを知っておいてください。

 

有名な著書などを読んでみるとあまりいい意味ではない使われ方をしているようです。

勉強になりますね。

 

刹那主義は賛否両論

刹那主義については、賛否が分かれているようです。

何が正しいかは、ここでは分かりませんが、どちらかというと、悪い意味での使い方のほうが多いようですね。

 

ある本では、「人の役に立つことは、虚しいもの、空虚なもの」という一説もありました。

それぞれの価値観で、しっかりと考えていくべき課題かもしれません。

 

刹那主義の反対語

刹那主義の反対語は、「普遍的なもの」「永遠なるもの」という言葉で、この考え方が欠落してしまうと衝動的な怒りや欲望が抑えられないような一面が出てきます。

 

時々、自分を見つめて自己管理の充実を図っていきたいですね。

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何となく似ている楽観主義との違いはコレ

 

「今だけが楽しければいい」という部分だけを見ると、なんだか、楽観主義と同じのような気がします。

ですが、刹那主義と楽観主義は似ているようで、意味は全く違ったものです。

 

はじめに楽観主義の意味を見ていきましょう。

 

 

楽観主義とは

楽観主義の意味は、この世に苦悪があったとしてもその苦悪を含めた世界観をも最良だと考える最善説と言われています。

物事の結果がどうあれ、プラス思考に考えて物事のとらえ方が前向きです。

 

前に進みやすい

楽観主義の考え方の人は、なんでもプラス志向なので、その思い通りに前に前にと人生を明るく前に進ませていきます。

ですので、人の役に立つこともいいことだと考えています。

 

それから、くよくよすることも少ないので、ピンチをチャンスに変えることもできます。

 

刹那主義とは違う

刹那主義は、どうしてもマイナス思考が強いです、まず、ここが違うところです。

 

楽観主義はマイナスではなく常にプラス思考です。

それから。プラス思考ということがすべての物事を良いほうに変えていくので、投げやりな人生にはなりませんし、一時的な快楽などには興味がありません。

 

逆に前しか向いていないので、後退することもなく刹那主義のように投げやりになることもありません。

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日常会話での刹那の使い方

 

日常会話の中で刹那という言葉を使うときって、そんなにないと思います。

それでも、たまに刹那という言葉を日常会話に使うとすればどうなるのでしょう?

少しづつ見ていきましょう。

 

日常会話での刹那の使い方

日常で、瞬間、瞬間、いつどんな時も自分の快楽だけに生きているような人を見た時に時間を無駄にしているように感じると「あの人、なんだか刹那的な人だね」とか言葉が出るかと思います。

 

または、「刹那的な生き方だね」とも言いますね。

会話になると刹那という言葉に対して「的」を付けるということが多いかもしれません。

 

「主義」を付けると意味がことなる

刹那に「的」を付けると、今のその人の現状を見て言うときに使うときが多いのですが、刹那に「主義」を付けて刹那主義や刹那主義者と呼ぶこともあります。

 

このような場合には、刹那的生き方をしている人をまとめた団体の総称のようになるかと思います。

更には快楽主義者と同じように言われることもあります。

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刹那をロマンチックに使ってみよう

 

刹那と意味の中に瞬間とか瞬時とか一瞬の間とか含まれていますが、その一瞬一瞬が積み重なって出来た時間を表現するときに永遠と呼ぶことが出来ます。

 

1秒が重なり合って永遠の時間になっていくこのことは、日常で会話として使うことは本当に少ないと思いますがロマンが感じられるロマンチックな使い方に考えられます。

 

こういったロマンチックな言葉は、音楽の歌詞に描かれていたり、映画のセリフに出てくるような素敵な世界に使用されることも多いです。

 

え?コレも?刹那以外にもよく使う仏教用語

 

刹那という言葉以外にも仏教用語は存在していますが、意外とこの言葉だったんだというものもありますので、そちらのほうもご紹介していきます。

 

本当にこれも仏教用語なの?と思う言葉ばかりで驚かされますので、一つづつ見ていきましょう。

 

日常的な仏教用語

金輪際

金輪際は、よく物事を強くお断りするときに使ったりしますが、仏教用語では大地の一番底という意味を持っています。

「大地のはて」ということです。

 

 

我慢

我慢する、我慢しなければならない等が日常的によく使われます。

仏教用語では、読んで字のごとく我に慢と書いて、自分の慢心した心を表しています。

 

慢心した途端、人は奈落の底に落ちていきます。

ですので、仏教ではとても大切な戒として使用されていたようです。

 

有頂天

「あの人、有頂天になってる」といって、自分を忘れて喜んでいる人、喜びの頂点に達している様子を言います。

 

これを仏教用語では、同じ有頂天と書くのですが、どちらかというと霊的な意味も含まれます。

見えない世界のことで、天界の最も最上階の世界を非想非非想天というのですが、このことをうちょうてんとよんでいます。

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一蓮托生

一蓮托生は、物事の結果が悪かろうと良かろうとそのあとも行動や運命をも共にするという意味です。

仏教用語では、死後の世界があり、その死後の世界でも同じ美しく咲く蓮華の上に生まれ変わろうという意味があります。

 

不思議

「不思議な世界だったね」とか「不思議な人だね」と日常的に使います。

仏教用語としては、元々「不可思議」という言葉が略されて「不思議」という言葉になっています。

 

迷惑

「人に迷惑を掛けてはいけない」「迷惑をかけたかもしれない」など、ちょっと悪い意味で使用されているのが現代的ですね。

仏教用語としての迷惑はこちらも読んで字のごとくなのですが、「迷い」、「惑う」という意味が隠れています。

 

使い方としては、「仏の道がよくわかっていません」とか自分の理解力に対して「本当に私は理解できているのだろうか」と疑問を持っている状態のことのようです。

 

大丈夫

「私は大丈夫だよ」とか「あなたは大丈夫?」と使用するのが日常的な使い方と言えます。

仏教用語としては、大丈夫のことを人を人生にある苦しみから救おうと修行に励んでいる人のことを言っており菩薩を指す言葉だったようです。

 

億劫

「なんだか億劫になってきた」「先生と話をすることは億劫だな」などという使い方が日常用語としても使い方ですね。

仏教用語では実は、時間の単位となっています。

 

詳しく話すときりがないので簡単に言うと人間では計り知れないほどの長い時間を表す言葉が「億劫」ということです。

単純に一劫(いっくう)は40年億年でその億倍の時間の長さが億劫ということでした。

 

世間

世間というと、現代的に人間の生きる社会のことを世間と言います。

この世間という言葉を仏教用語でいうと、すべての生き物のことを言うそうです。

 

更には生き物すべてが生きる世界のことを指すそうです。

現代的な世間の意味よりもかなり広い世界のことを指すようになっています。

 

意外と多い仏教用語

仏教語のうちで、日常用語として使われている言葉が意外と多いことに気が付きました。

このことを意識して言葉を使っていくと、面白いですね。

 

新しい発見と仏教に対する意識も良い方向に変わっていきそうです。

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