「こちとら江戸っ子でい」という威勢のよいセリフを耳にしたことはありませんか。

「こちとら」とはどんな意味なのでしょうか。

気になりますよね。

 

この記事では、「こちとら」という言葉の意味はもちろん、由来や語源についてもくわしく解説します。

なんとなく「江戸っ子の方言なのかな?」という気もしますが、実は方言ではないのです。

 

またその由来を知ると、日本の歴史についても理解することができます。

江戸っ子以外の言い回しについてもご紹介します。

 

どんな言葉か知ることで、日本文化をより理解することができるようになりますよ。

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こちとらってどういう意味?

 

「こちとら」は漢字で書くと「此方人等」となります。

「こちと」(此方人)が代名詞を、「ら」(等)が複数形を示す言葉の組み合わせです。

つまり「こちとら」(此方人等)は人代名詞で「我々」「おれたち」という意味を持ちます。

 

複数形の「ら」がつくため複数人を示す言葉ではありますが、「おれ」「わし」「おいら」という一人称を示す言葉としても使用されます。

どちらかというと自分の事をぞんざいに表現する言葉なので、威勢の良い性格を反映する一人称として使用されることが多い言葉です。

 

雑に自分を指し示す言葉なので、使用するのは庶民です。

 

かつて身分制度があった時代の上級身分である華族や公卿、武士などは自分自身の一人称として「此方人」(こちと)という言葉を使います。

また複数形である「此方」(こなた)も一人称に用いることがあります。

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こちとらの由来とは?語源を紐解いてみる

 

江戸時代を舞台にした時代劇などで「こちとら江戸っ子だい」という早口の台詞を耳にしたことがある、という人は多いのではないでしょうか。

実はその由来はハッキリとは分かっていません。

 

そもそも江戸時代の幕府の運営には、様々な地方出身の武士たちが役職を得て参加していました。

そのため役職者が変わる毎に様々な方法が変わったりして、その影響を受ける武士以外の身分の人々はその度に戸惑っていたようです。

 

一説によると「○○藩はこうだったのに、それに比べてこちらの藩は△△なんですか」というケースが多く、このことから人を示す代名詞として「こちとら」が使用されたのが始まりではいかとする説もあるようです。

 

どちらにせよ町人の日常生活や、落語や浄瑠璃などで表現された芸能文化が混ざり合って生まれた下町言葉です。

 

たとえば滑稽本のひとつ式亭三馬の『浮世風呂』の中では「こちとら」という表現が出てきており、江戸に暮らした町民が普段使用していた言葉であると言うことが分かります。

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江戸っ子が使うこちとらは方言でも標準語でもなかった

 

江戸っ子の台詞の代表格に挙げられることも多い「こちとら」ですが、実は方言でもなければ標準語でもありません。

敢えていうのであれば、「江戸弁」もしくは「東京下町ことば」です。

 

江戸とはつまり東京を指しますが、東京の中でも特に「下町」と呼ばれるエリアに住む人々、町人の使っていた言葉を「東京下町ことば」といいます。

たとえば「てやんでい」「するってえと」「でーこん」「あたぼうよ」「べらんめえ」といった言葉があり、こちらも「こちとら」同様、時代劇や時代小説でよく耳にする言葉です。

 

標準語とは、その国で使用を認められている標準的な喋り方です。

日本語の教科書に記載されている言葉やイントネーションのことを指します。

 

一方で方言とは、ある一定の地域や場所でだけ通用する言葉の言い回しや発音などを指します。

「日本の首都である東京で使用されている言葉だから標準語」というわけではありません。

 

こちとら自腹じゃ!他いろんなこちとらを例文で紹介

 

強調するときに使う

「こちとら江戸っ子でい」→俺は江戸っ子なんだ

「こちとら○○でい」という使い方は応用しやすいですよね。

下町言葉の中でも親しみやすい言葉で簡単に言えるので、下町っこ以外でも使っている人も多いです。

 

喧嘩を売るときに使う

「こちとら」は威勢の良い言葉ですので、勢いが重要になる喧嘩にはもってこいの言葉です。

どのように使うのか見ていきましょう。

 

「こちとら気がみじけえんでい」→自分は気が短いんだ

「こちとら遊びじゃねえんだよ」→俺は遊びでやっているんじゃない、本気だ

「こちとらとおの昔にお見通しでぇ」→こっちはお前のはたらいている悪事はお見通しだ

 

 

やり場のない怒りをぶつける

威勢の良い言葉である「こちとら」は、手っ取り早く自分の置かれた状況に対して積もる鬱憤を表現しやすい言葉です。

Twitterなどでのつぶやきでもよく見かけるタイプの使い道になります。

例文とその意味をみていきましょう。

 

「こちとら自腹なんでねえ」→こっちは自腹なんですよ

「こちとら肩身がせまいねえ」→こっちは肩身が狭い気分を味わうしかないんだね

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こちとらは女性は使わないの?

 

威勢の良さを表現する一人称としてぴったりの「こちとら」という言葉は、どちらかというと下町出身者の使う言葉です。

しかも喧嘩を売るときの啖呵を切る場面で使用されることが多いので、男言葉といえます。

 

「品がない」といわれることもありますので、時代劇の中で女性が口にすることはほとんどありません。

ただし現代でも気の強い女性が「俺」「わし」という一人称を使うことがあるように、「絶対に男性だけが使う言葉」ともいいきれません。

 

実際に、時代劇の中で女性が「こちとら」という一人称を使用する場合がありますが、それは下町の威勢の良い女性や肝の据わったお母さんキャラが使用する場面であることがほとんどです。

はんなりとしたお嬢さまキャラや気弱な女性が使うと違和感を覚える言葉ではあります。

女性が使用する場合、場所や性格が限られることが多いです。

 

こちとらは関西弁で何ていう?他の言い方もチェック

 

江戸弁の1つであるこちとらは、関西圏ではどのような言い方になるのでしょうか。

また他にはどんな表現方法があるのか見ていきましょう。

 

こちとらを関西弁でいうと

こちとらは「我々」「おれたち」「わたし」「おれ」という意味の江戸弁ですので、関西弁に言い換えるとすれば「うちら」「自分ら」という言い方になります。

また「こちとら」は「こちら側は」という意味でも使用されますので、「こっち」「こちらは」という言い方にも当てはまります。

 

こちとらを他の言葉で表現するとこうなる

そもそも一人称は「こちとら」以外にたくさんあります。

 

英語で自分を指し示すの言葉は「I」「my」「me」くらいですが、日本語には「自分」にはじまり「私」「俺」「僕」など様々な表現があり、日本語圏以外の人が日本語を学習するときに「日本語は難しい」と感じる原因の1つとなっているともいわれています。

 

さらにビジネスシーンで使用されることが多い「当方」や、年配の人が自分より目下の人間に対してへりくだるときの一人称である「小生」など、場面に応じて様々な呼び方があります。

 

身分によって一人称が変わる

実にたくさんの表現が存在する「こちとら」という言葉ですが、そもそも日本語の一人称がバラエティ豊になった背景には、長く続いた江戸時代の影響があるとも考えられています。

 

江戸時代は身分制度に基づく階層社会であり、どんな身分に属しているかで一人称が違います。

そのため同じ言葉でもたくさんの表現が生まれたのです。

 

まず武士は「それがし」「手前」(てまえ)「拙者」(せっしゃ)「身共」(みども)などが一般的でした。

しかし武士の頂点とも言える将軍は「余」や「身共」とは言っても「拙者」は使いませんでした。

同じ武士階級であっても、さらに細かな言葉の上のきまりがたくさんあるのです。

 

江戸時代の武士以外の階級は庶民となりますが、庶民とは農民・町人・商売人など職業ごとに独特の言い回しがありました。

農民が使用した一人称としては「おいどん」「おら」「おいら」「あたし」、商売人の場合は「手前」(てまえ)「手前ども」、職人の場合は「あっし」「わっし」「わたくし」などが挙げられます。

 

時代劇や時代小説をみてみると、これらの時代考証がしっかりした作品はしゃべり方だけでどんな身分の人が喋っているのか聞き分けることができます。

観賞する場合は、身分事にどんな話し方の違いがあるのか注目してみるともっと楽しむことができます。

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江戸言葉だけじゃない!これも江戸発祥

 

江戸発祥の文化は江戸言葉だけに留まりません。

たくさんの文化が生まれ、現代にも引き継がれています。

いったいどんな文化が江戸で生まれたのかみていきましょう。

 

芸能文化

江戸歌舞伎

江戸歌舞伎は1624年に現在でいうところの日本橋と京橋の中間地点あたりで猿若中村座が櫓をたてたのがそのはじまりだと言われています。

伝承が残る地点には江戸歌舞伎の記念碑が建てられています。

 

当初は幕府の許可を得た四座の芝居小屋が建ち並んで様々な演目を上演しましたが、やがて市川団十郎や尾上菊五郎といった大スターが登場し、江戸に留まらず大衆娯楽の花形として発展し現在にも引き継がれています。

 

人形浄瑠璃

人形浄瑠璃は江戸時代に始まった人形劇です。

もともと室町時代から浄瑠璃はありましたが、江戸時代に三味線が組み合わされることによって、人形浄瑠璃としての文化が花開きました。

 

とくに劇作家で芝居小屋の座長でもある近松門左衛門が登場すると様々な人気演目が発表され、現在でも楽しまれています。

三味線の演奏には様々な流派があり、同じ演目でも流派による違いを楽しむことができます。

 

江戸相撲

本来、相撲は神さまに捧げる神事としての性格を持つものでした。

現在でも日本各地の神社などでは奉納相撲が行われています。

その後、武士の世の中になると相撲は武芸の一環として尊ばれていきました。

 

江戸時代に入ると使えるべき家を失った浪人や怪力自慢のものたちによる相撲の取り組みが盛んになり、中期頃には定期的に相撲の取り組みが行われるようになりました。

これが江戸相撲の始まりです。

やがて歌舞伎と並ぶ人気大衆娯楽となり、現在の大相撲につながるルール作りなどが行われるようになりました。

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浮世絵

浮世絵は絵画の一種で、江戸時代に確立しました。

風俗街の一種で、江戸時代の日常生活や人々の生活が描かれています。

題材も人物画から風景、和歌など古典や伝説、宗教、皇室など多岐にわたります。

 

当初は肉筆画でしたが、やがて多色刷りの木版画錦絵などの手法が確立し大量生産が可能になりました。

日本独特の風習や表現方法が活用されており、海外からの評価も高く当時の作品は現在では美術品としての価値が高まっています。

 

食文化

寿司

お寿司はもともと、東南アジアの伝統食として発達しました。

海から遠く離れた土地でも魚を長期保存して食べられるようにするために発達した保存方法の1つです。

 

日本では平安時代にはすでになれ寿司という形で、米と魚を一緒にして発酵させることで保存しやすくする食品が登場していました。

 

現在わたしたちが回転寿司などで食べるお寿司のルーツは、江戸時代に入ってから登場した握り寿司だと考えられています。

江戸前寿司は町人に大人気となり、文政の末には関西にも握り寿司が広まるようになりました。

 

小松菜

年中を通してよく食べられている小松菜ですが、東京都江戸川区の小松川が原産であることから「小松菜」の名が付けられています。

小松菜そのものは鎌倉時代には江戸川区に中国から入ってきたといわれていますが、江戸時代に入ってから将軍によって「小松菜」の名が与えられたといいます。

現在でも関東地方で広く栽培されており、関東地方のお雑煮には欠かせない野菜です。

 

佃煮

現在は日本全国、その土地ごとの特色ある佃煮があります。

しかしもともとは佃煮は江戸の特産品でした。

 

佃島に移り住んだ漁師が、近海で獲れた小魚を煮て作ったのが佃煮の始まりです。

この佃島の漁師に与えられた漁業権は江戸幕府の開祖である徳川家康によるものです。

 

彼らは徳川家康が天下をとる以前から忠誠を誓い尽くしたことから、その恩に報いるために徳川家康によって居住地と漁業権が与えられました。

佃煮は江戸の特産品であるとともに、歴史的な繋がりを現在にも伝える食べ物なのです。

 

 

まだある生活に溶け込んだ江戸発祥の文化

浴衣

夏祭りに欠かせない浴衣ですが、そのはじまりは平安時代だとされています。

しかし庶民にまで普及したのは江戸時代に入ってからです。

 

銭湯文化の広がりと共に、湯上がりに着る衣装として庶民に普及しました。

やがて銭湯あがりだけではなく、花見や盆踊りのときに着る外出着としても人気を集めるようになったのです。

 

出版

浮世絵をはじめ、浮世草子といった文学作品など、江戸時代には出版技術が発達しました。

特に日本橋付近には版元と呼ばれる出版社が数多く立ち並び、江戸文化の日本各地への波及にも貢献しました。

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